誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2017年5月10日(水)
【通読】
マタイの福音書 4:18-22
18イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。19イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」20彼らはすぐに網を捨てて従った。21そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。22彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。
【ポイント】
①悔い改めの重要さを知る
昨日、宣教を開始されたイエス様の第一声は「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」というものであったことを学びました。しかし、なぜイエス様は、バプテスマのヨハネと同じメッセージを繰り返されたのでしょうか。それは、悔い改めが重要であるからです。
ペテロの兄弟のアンデレはバプテスマのヨハネの弟子でした(ヨハネ1:40)。ですから、アンデレだけでなく、ペテロもバプテスマのヨハネの「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」というメッセージを繰り返し聞いていたと推測できます。しかし、自分が罪深い人間であること知り、罪の悔い改めに導かれ、、罪の悔い改めのバプテスマを受けても、自分の罪深さが消え去ることがはありません。自分の罪深さと正直に向き合えば向き合うほど、自分が救いようのない罪人であることを知ることになるのです。ルカの福音書5章8節に記されている、イエス様の招きに応える直前のペテロの様子から、このことがよく分かるのです。「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから』と言った。」 ペテロは、いくら悔い改めを重ねても、自分の罪深さが消えないことに気付いていたのでしょう。
私たちも、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」というメッセージを真面目に聞き、自分の罪深さについて真剣に向き合えば、ペテロと同じような状況になるのです。そして、自分自身の罪深さに絶望している私たちを、イエス様は招いてくださるのです。
ライフチャーチ
大谷信道