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2017年5月11日(木)
【通読】
マタイの福音書 4:23-25
23イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。24イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをいやされた。25こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。
【ポイント】
①イエス様の計画
イエス様が具体的に何を教えていたのか、御国の福音とは何かということについては、これからマタイの福音書を読み進めていくと明らかにされるわけですが、今日の箇所では、イエス様のミニストリーの中心は「教えること」と「御国の福音を宣べ伝えること」であったことが分かります。
マタイは「教えること」と「御国の福音を宣べ伝えること」と同時に「病人の癒やし」を行っていたことが分かります。イエス様の癒やしを行われた理由は、ご自身がメシアであることを証明されることにあったと思われます。例えば、イザヤ書35章に「
4心騒ぐ者たちに言え。『強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。』5そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。6そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。」とあるからです。
ところが、マタイの記録によると、人々はイエス様の教え、福音を求めてきというよりは、病の癒やしを求めてイエス様のところに集まってきたことが分かります。しかし、イエス様はこのような状況になることをすべてご存知の上で癒やしを行われていたと思われます。というのも、群衆はイエス様がメシア、または特別な方であると認識しない限り、イエス様に従い、話しを真剣に聞くことはしないと思われるからです。実際、マタイはイエス様が癒やしを行われた結果として、「こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。」(25節)と記しています。そして、5章で、弟子たちと群衆に対して教え始められるのです。人間的な見方からしても、限られた時間の中で効率よく福音宣教の業を行っていくためのイエス様の計画(知恵)であったと思われます。
ライフチャーチ
大谷信道