デイリーディボーション 5月12日(火)

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デイリーディボーション 5月12日(火)

2015年5月12日(火)

【通読】
1テサロニケ 2:6-8
6また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。7それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。8このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。

【ポイント】
①未熟な者は権威主義を求める
キリスト者として成長のプロセスの一つは権威、名誉に対する興味、欲求を捨てることであることは、イエス様の歩みを見れば明らかです。本当の権威を持っている方は、その権威を乱用することはされなかったのです。ピリピ人への手紙2章にあるとおりです。「6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」

ですから、伝道者に限らず、家庭、職場においてリーダー、責任者としての役割、肩書が与えられている人は要注意です。ショッピングモールなどでは、子どもに対して威張り散らしている親を度々目にします。妻に対して横柄な態度、言葉遣いしている夫もたくさんいます。子どもは「親」という権威を認めている間は言うことを聞いているでしょう。しかし、やがて年齢が増すに従って、親の権威を否定するようになり、場合によっては暴力という力によって親に言うことを聞かせようとすることもあるでしょう。つまり、親だから言うことを聞け、自分が金を出してやっているのだから、自分の方が腕力が強いのだから言うことを聞けというような形で、親子が家庭の中の主導権の争いをしているのです。子どもは、親の権威主義に、自分なりの権威主義で対抗しているだけなのです。

一方、権威主義に満足してしまっている人もいます。著名な学者、権威的な専門家など、自分がその権威を認める人の言うことは大変素直に聞く人達がたくさんいます。そのような人たちが、セミナーや講演の案内の中で真っ先に確認するのは、講師の学歴、経歴、肩書でしょう。それが、自分にとって尊敬に値するものであれば、喜んで話を聞きに行ったり、本を買ったりします。反対の場合は、全く興味を示しません。イエス様の時代の宗教指導者たちの多くはこの手の人達でした。「23それから、イエスが宮に入って、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。『何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。』
」(マタイ21章) ですから、イエス様のことばを聞きながら、心のどこかではそれが真理であると認めながら、自分たちの権威の基準を満たしていなかったために、イエス様を信じようとしなかったのです。

このように、この世は勝手に作りだした「権威」を振りざし、威張る人がいれば、その「権威」に喜んで迎合する人々もいるということです。私たちクリスチャンは、このどちらであってもなりません。また、パウロがそれに徹したように、この世の人々が喜ぶ「権威」を、伝道の手段として用いることもしてはならないのです。結局、人々の有名人好き、権威好きを助長することになりかねないからです。聖書の権威よりも、そのような人々の権威を優先させるために、度々カルト的、異端的な教会が出来上がってしまうのです。その原因は、教祖的な牧師だけにあるのではなく、権威者を喜んで迎える会衆にもあるのです。ですから、パウロは使徒としての権威、ローマ市民権を持つエリートユダヤ人としての名誉を、伝道の手段として用いることはしなかったのです。

【今週の礼拝での聖句】
先週のヨハネ15章9節「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」を受けてのメッセージです。

イエス様の愛にとどまるために具体的にどのようにしたら良いとイエス様が教えているのでしょうか。

①イエス・キリストの戒めを守る(10節)
「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」

②互いに愛し合う:模範はイエス・キリスト(13節)
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

③教会・夫婦・親子から始める(17節)
「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」
「あなたがた」とは、イエスの弟子、つまりイエスを主と信じ従っている人達です。
キリストが教えられたのは「博愛精神」ではなく、まずは「キリスト信じる者同士が愛し合う取り組みを続けること」です。

【今週の祈り】
「主よ、あなたが私と深く関わって下さっていることに感謝します。私の我がままや、自分勝手さを知りながら、あきらめずに、忍耐強く関わり続けてくださるあなたの愛に感謝します。どうか、その愛に動かされ、同じ愛をもって兄弟姉妹を愛する歩みを続けさせて下さい。私の家族、私の教会があなたの命令に一致し、同じ約束の中で愛し合う取り組みを続けていく力を与えて下さい。その取り組みの中で、他の人の愛の少なさが気になったら、自分の愛の足りなさこそに目を向ける者として下さい。」

ライフチャーチ牧師
大谷 信道


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