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2017年5月13日(土)
【通読】
マタイの福音書 5:5-10
5柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。6義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。7あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。8心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。9平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。10義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。11わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
【ポイント】
①イエス様に対する「信仰、希望、愛」
「柔和さ」「義への飢え渇き」「憐れみ深さ」「心のきよさ」「平和をつくること」のすべては、イエス様ご自身に見ることができる特徴です。そして、それらの特徴はイエス・キリストを信じる者の目標であると同時に、イエス・キリストを愛する者に与えられる御霊の実です。昨日も学びましたが、これらはイエス様への信仰、愛の中で実現するものなのです。さらに、「迫害からの喜び」については、イエス様が与えて下さっている永遠のいのちの約束から来る「希望」に基づくものです。
山上の説教を聞く者の誰でもが、イエス様が約束してくださっている「幸い」を得たいと願うはずです。その具体的な方法は、これまで確認してきたように、イエス・キリストを愛し、信頼し期待し続けることにあります。イエス様を愛する者は、「イエス様に似た者となりたい!」と思います。イエス様を信頼する者は「イエス様のみことばに従いたい!」と思います。イエス様の約束に期待し続ける者は「地上でどのような困難に直面していても、天での報いに希望を置こう!」と思うのです。
山上の宣教はクリスチャンに与えられている「道徳」「倫理」についてだけの教えではありません。イエス様を信じ、愛する者が期待すべきクリスチャンの生き様、喜びのビジョンなのです。繰り返しになりますが、これらのビジョンはイエス様を愛すること、信頼し続けることによって実現するのです。イエス様の説教を聞いていた弟子たちは、「ああ、すべてを捨ててイエス様に従って良かったな!」「イエス様に従っていれば大丈夫なのだ!」と喜んだことでしょう。そして、イエス・キリストを信じ、愛する私たちも、イエス様の弟子とその喜びを共有できるのです。
ライフチャーチ
大谷信道