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2015年5月13日(水)
【通読】
1テサロニケ 2:9-10
9兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。10また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。
【ポイント】
①覚えていますか?
私たちの脳は物事を忘れるように設計されています。辛く、悲しい出来事も時間の経過とともに忘れることができます。私達が前向きに歩んでいく上でも、ネガティブな感情を忘れていくことも実に大切な脳の機能なのです。忘れることがなければ、私たちは苦々しい思いで満たされながら生きて行くことになるでしょう。
しかし、残念なことに、私たちは、感謝、喜びといった、忘れてはならないことについても忘れてしまいます。例えば、入試の合格、就職試験の合格、スポーツ、音楽、芸術などでの入賞、結婚、出産などの喜びも、時間と共に消え去ってしまったり、喜んでいる状態が当たり前になってしまったりします。同じように、イエス様の愛を知った時、罪が赦された時の喜び、自分の友人がクリスチャンになった時の喜び、教会開拓、教会形成の喜びなども忘れてしまうことがあります。
パウロも、テサロニケの教会のクリスチャンたちに、パウロと共に伝道し、教会を建て上げていく働きをした時のことを思い出して欲しいと訴えかけているのです。特に、パウロのテサロニケのクリスチャンに対し、母親(7節)や父親(11節)が子どもを養い育てるように関わってきたことを思い出して欲しいと語りかけているのです。なぜなら、パウロは自分の行動が、テサロニケのクリスチャンの模範となるように自分の生き様を見せてきたからでしょう。
②忘れないための工夫をする
イエス様は、弟子たちがイエス様の愛を忘れないために互いに足を洗い合うように教えられました。「14それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネ13:14-15)
さらに、イエス様の十字架を忘れないために主の晩餐を制定されました。「19それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
(ルカ22:19) また、クリスチャンたちはキリストの復活を覚えるために、日曜日に礼拝することを始めました。ユダヤ人が守っている過越の祭りは、神様がイスラエルの民をエジプトから救い出されたことを覚え、感謝をささげる時です。
つまり、私たちが普段行っている礼拝、主の晩餐なども、私たちが神様の恵み、愛を忘れないための工夫一であるということもできます。
【今週の礼拝での聖句】
先週のヨハネ15章9節「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」を受けてのメッセージです。
イエス様の愛にとどまるために具体的にどのようにしたら良いとイエス様が教えているのでしょうか。
①イエス・キリストの戒めを守る(10節)
「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」
②互いに愛し合う:模範はイエス・キリスト(13節)
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
③教会・夫婦・親子から始める(17節)
「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」
「あなたがた」とは、イエスの弟子、つまりイエスを主と信じ従っている人達です。
キリストが教えられたのは「博愛精神」ではなく、まずは「キリスト信じる者同士が愛し合う取り組みを続けること」です。
【今週の祈り】
「主よ、あなたが私と深く関わって下さっていることに感謝します。私の我がままや、自分勝手さを知りながら、あきらめずに、忍耐強く関わり続けてくださるあなたの愛に感謝します。どうか、その愛に動かされ、同じ愛をもって兄弟姉妹を愛する歩みを続けさせて下さい。私の家族、私の教会があなたの命令に一致し、同じ約束の中で愛し合う取り組みを続けていく力を与えて下さい。その取り組みの中で、他の人の愛の少なさが気になったら、自分の愛の足りなさこそに目を向ける者として下さい。」
ライフチャーチ牧師
大谷 信道