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2015年5月18日(月)
【通読】
1テサロニケ 3:1-3
1そこで、私たちはもはやがまんできなくなり、私たちだけがアテネにとどまることにして、2私たちの兄弟であり、キリストの福音において神の同労者であるテモテを遣わしたのです。それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、3このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。
【ポイント】
①パウロのビジョンを知る
もし、パウロの使命が個人伝道だけであったとしたら、救われた人がその後どのようなクリスチャン生活を送っていても、大して気にすることもなかったでしょう。しかし、実際のパウロは、その後のテサロニケ教会の一人ひとりが心配でならず、「がまんできない」ほどだったことが今日の箇所から分かります。何が我慢できなかったのなかというと、「信仰について彼らを励ますこと」「苦難の中にあっても、動揺するものがひとりもないようにすること」です。これは、大変な状況の中にあっても、群れとして集まり続け、キリストを証し続けてほしいという思いなのです。
イエス様が教えられた通り、一人のクリスチャンは一匹の羊のようなものです。それは、羊が何百頭、何千頭いようとも、良い羊飼いを得、群れを形成しなければ、外敵の餌食となることを意味します。(ヨハネ10章)
また一人のクリスチャンはぶどうの木の枝のようなものです。枝が一本しかないぶどう木はありません。ぶどうの木ににはたくさんの枝がつながっているのです。(ヨハネ15章)
残念ながらこのイエス様のことばを何度も聞きながら、そのメッセージを軽視していることはないでしょうか。私たちは、イエス・キリストを信じた人が、教会につながるための働きの重要さを見過していることはないでしょうか。
私たちの教会、その他のクリスチャンの集まり、ミニストリーは、本当にイエス様、パウロのビジョンに沿っているでしょうか。つまり、そこに集まってくる人が、しっかりと教会の群れにつながるための援助を適切に行うことができているでしょうか。それとも、個人的に学びができたり、楽しい交わりができればそれで良いのでしょうか。絶対にそうではありませんね。もし、私たちがイエス様、パウロと同じビジョンを共有していたとすれば、クリスチャンが集まる時に、そこにいる一人ひとりがきちんと教会につながりっているのか気になって仕方がなくなるはずなのです。そして、そのための援助をしたくなるのが自然なのです。そして、自分の教会を素晴らしい家庭として整えて行きたいという思いも与えられるはずなのです。
パウロと同じ目で自分自身、周囲のクリスチャンを見てみましょう。自分が与えられている教会、群れの形成のためにどのような働きを担っているのか考えてみましょう。教会外で会う他のクリスチャンが本当に自分の教会を大切にしているのか気にしてみましょう。自分の教会が決まらずフラフラと教会を渡り歩いているような人はいないでしょうか、教会よりも、教会外の集まりを大切にしてしまっている人はいないでしょうか。そのようなクリスチャンに交わりの楽しさを機会を提供するだけでなく、その楽しさを本当の意味で味わうことができる家族としての群れにつながることができるように励まし続けて行きましょう。そして、自分の教会も、そのような人が安心して繋がることができる場として整えていく努力を続けていきましょう。
【今週の礼拝での聖句】
(フェイスブック掲)
ヨハネの福音書15章18-27節
イエス様の福音はこの世が喜ぶ、聞こえのよいリップサービスではありません。イエス様は私たちを愛し、私たちがイエス様を一番愛するという関係を求めています。なぜなら、それが私たちに最高の喜び、平安をもたらす唯一の方法であることを、創造主としてご存知だからです。しかし、この福音の本質ゆえに、この世においては、イエス様を一番にすることを拒絶する人、自分ではなく、イエス様を一番にする人を迫害する者が現われます。イエス様はこの事実を明らかにした上で私たちを招いていらっしゃるのです。ですから、私たちも再度、イエス様の福音、イエス様の招きの意味を再確認することから始めましょう。それが最初のポイントです。
①福音の本質を知る→迫害の理由を知る
・神様の愛を知る→神を愛する→神の命令を守る(出エジプト20:6, ヨハネ14:15)
・神の愛を知る→神を愛する→神に従う(マタイ16:24)
・神様の愛を知る→神を愛する→神を一番にする(マタイ6:33)
しかし、この世の人間は
・神の命令を守りたくない-誰の指図も受けたくない
・神に従いたくない-自分の人生は自分で決めたい
・神様を一番にしたくない-自分の欲求を満たすことが人生の最優先事項
②迫害、拒絶を覚悟する
イエス様の福音、真似の本質を理解すれば、迫害、拒絶が不可避であることを分かります。ですから、私たちはイエス様のことばを真摯に受け取り、覚悟する必要があります。
参)ルカ21:16-17
16しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、17わたしの名のために、みなの者に憎まれます。
③問題の解決方法は二つに一つ
1. キリストの福音を聞こえの良いもの変えてしまう
残念ながら、人気を得たい、嫌われ者になりなくないという誘惑に負け、こちらを選んでしまっている伝道者、牧師が少なからず存在します。具体的には、「罪の滅び」「悔い改め」「キリストへの服従」「戒めを守る」「自分の十字架を負う」という福音の中心メッセージを語らなければ、聞く人から喜ばれ、自分も嫌われたり、拒絶されることもないのです。しかし、こちらはイエス様の伝道方法とは全く別物なのです。
2.迫害を恐れず、福音をありのまま伝える
今日の聖書の箇所を一言でまとめれば、このようになるでしょう。私たちがイエス様に忠実に従い、教えられたとおりに福音を伝えれば、多くの人から反感を得ることになります。反対に、誰でも喜ぶようなメッセージであったとしたら、それはイエス様の福音ではない可能性が高いのです。この、困難な働きを全うするために、イエス様は聖霊を与えてくださったのです。
使徒1: 8
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
ヨハネ15:26-17
26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。27 あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。
2テモテ4: 2-4
2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。3というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
【今週の祈り】
「主よ、あなたを愛します。あなたを愛することを喜ばない者、あなたに服従することをあざ笑う者がこの世にはたくさんいるようです。しかし、そのような人にも間違いなくあなたの福音が必要なのです。どうか、私たちがあなたの福音を水で薄めたり、聞こえの良いものに変えてしまうような、あなたの十字架を無駄にしてしまうような行為に陥るがないように、続けて聖霊をもって力を与えて下さい。」
ライフチャーチ牧師
大谷 信道