デイリーディボーション 5月19日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 5月19日(火)

2015年5月18日(月)

【通読】
1テサロニケ 3:4-6
4あなたがたのところにいたとき、私たちは苦難に会うようになる、と前もって言っておいたのですが、それが、ご承知のとおり、はたして事実となったのです。5そういうわけで、私も、あれ以上はがまんができず、また誘惑者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦がむだになるようなことがあってはいけないと思って、あなたがたの信仰を知るために、彼を遣わしたのです。6ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰 と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うよう に、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。

【ポイント】
①迫害の目的は?
迫害する者の第一の目的はクリスチャンが群れとして集まることをやめさせることです。もちろん、一人ひとりに「踏み絵」のような者を行うこともできますが、一番手っ取り早く、効果的な方法は礼拝や集会を禁止することです。なぜなら、それによって群れの増殖を止めることができるからです。クリスチャンが集まれば、そこで教え合い、団結し、さらに多くの人を誘い合い、その数を増やしていくことになるからです。反対に、集まることを止めさせると、ひとりひとりの情熱が冷やされ、力を失っていくのです。

しかし、皮肉なことに、いくら集まっていても、教えあうことも、団結しさらに福音を広めていこうという情熱がないところには、迫害の手が伸びることはありません。それは、為政者だけでなく、サタンから見てもそうなのです。彼らも忙しいですから、放っておいてもクリスチャンの数が増えることが無いような群れを攻撃する必要はないと判断するのです。もし、私たちが迫害や攻撃を感じていないとしたら、それは教会の状態が良いのではなく、単に神様の御心に従っていないだけという可能性があるのです。ですから、教会の規模が大きければ、それが健全な教会であるとは限らないのです。これは、今週の説教の中でも確認したばかりですね。

②労苦を無駄にしない
サタンは、私たちの労苦を無駄にしようと常に攻撃をしかけてきます。それに対抗する最善の方法は、①群れとして集まり続けること、②弟子が次の弟子を作り続けることです。例えば、一つの地域で20人の人をキリストに導いたとします。しかし、その20人が集まり続けることをやめれば、みるみるうちに火が消えていくような状態になってしまうでしょう。たとえ、20人集まったとしても、その20人が新しい人を救いに導き、その人たちが伝道するように育てることができなければ、この20人が天に召されれば、その地から教会も、クリスチャンも消滅してしまうことになるでしょう。これでは、開拓、種まきの働きが無駄になってしまうのです。まるで、最初の年に収穫した麦を種にせず、全部消費してしまうようなことだからです。真剣に農業に携わっている人は、このような愚かなことはしません。その年の労苦は、その年の収穫だけのためではなく、次の年のより多くの収穫のための準備でもあるからです。

日本においては、多くの牧師、宣教師は、集まり続けることの大切さはしっかりと教えてきました。私は日本、アメリカでたくさんの教会を見る機会がありましたが、日本人クリスチャンの教会に対するコミットメントの強さは、注目に価するのではないかと思います。しかし、残念なことに、弟子作りのサイクルについては、悲惨な状況です。60代、70代の人が教会の執事、教会学校の教師、様々なリーダーをやり続けているケースが非常に多いのです。分かりやすく言うと、後継者養成に失敗してしまっているのです。また、彼らの子どもが教会から離れてしまっているケースも非常に多いのです。彼らは、後継者、新しいキリストの弟子を育てなければ、自分の働きが無駄になってしまうという長期的な視点を持てなかったのです。

弟子訓練は「自分が弟子を作る者になるための訓練」です。「自分が弟子になるための訓練」だけではありません。私たちは使徒パウロという素晴らしい模範、先輩が与えられています。彼の信仰、情熱を共有するものとなりましょう。

【今週の礼拝での聖句】
(今後フェイスブックにも用いることになりました。)

ヨハネの福音書15章18-27節

イエス様の福音はこの世が喜ぶ、聞こえのよいリップサービスではありません。イエス様は私たちを愛し、私たちがイエス様を一番愛するという関係を求めています。なぜなら、それが私たちに最高の喜び、平安をもたらす唯一の方法であることを、創造主としてご存知だからです。しかし、この福音の本質ゆえに、この世においては、イエス様を一番にすることを拒絶する人、自分ではなく、イエス様を一番にする人を迫害する者が現われます。イエス様はこの事実を明らかにした上で私たちを招いていらっしゃるのです。ですから、私たちも再度、イエス様の福音、イエス様の招きの意味を再確認することから始めましょう。それが最初のポイントです。

①福音の本質を知る→迫害の理由を知る

・神様の愛を知る→神を愛する→神の命令を守る(出エジプト20:6, ヨハネ14:15)
・神の愛を知る→神を愛する→神に従う(マタイ16:24)
・神様の愛を知る→神を愛する→神を一番にする(マタイ6:33)

しかし、この世の人間は
・神の命令を守りたくない-誰の指図も受けたくない
・神に従いたくない-自分の人生は自分で決めたい
・神様を一番にしたくない-自分の欲求を満たすことが人生の最優先事項

②迫害、拒絶を覚悟する
イエス様の福音、真似の本質を理解すれば、迫害、拒絶が不可避であることを分かります。ですから、私たちはイエス様のことばを真摯に受け取り、覚悟する必要があります。

参)ルカ21:16-17
16しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、17わたしの名のために、みなの者に憎まれます。

③問題の解決方法は二つに一つ

1. キリストの福音を聞こえの良いもの変えてしまう
残念ながら、人気を得たい、嫌われ者になりなくないという誘惑に負け、こちらを選んでしまっている伝道者、牧師が少なからず存在します。具体的には、「罪の滅び」「悔い改め」「キリストへの服従」「戒めを守る」「自分の十字架を負う」という福音の中心メッセージを語らなければ、聞く人から喜ばれ、自分も嫌われたり、拒絶されることもないのです。しかし、こちらはイエス様の伝道方法とは全く別物なのです。

2.迫害を恐れず、福音をありのまま伝える
今日の聖書の箇所を一言でまとめれば、このようになるでしょう。私たちがイエス様に忠実に従い、教えられたとおりに福音を伝えれば、多くの人から反感を得ることになります。反対に、誰でも喜ぶようなメッセージであったとしたら、それはイエス様の福音ではない可能性が高いのです。この、困難な働きを全うするために、イエス様は聖霊を与えてくださったのです。

使徒1: 8
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

ヨハネ15:26-17
26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。27 あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。

2テモテ4: 2-4
2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。3というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。

【今週の祈り】
「主よ、あなたを愛します。あなたを愛することを喜ばない者、あなたに服従することをあざ笑う者がこの世にはたくさんいるようです。しかし、そのような人にも間違いなくあなたの福音が必要なのです。どうか、私たちがあなたの福音を水で薄めたり、聞こえの良いものに変えてしまうような、あなたの十字架を無駄にしてしまうような行為に陥るがないように、続けて聖霊をもって力を与えて下さい。」

ライフチャーチ牧師
大谷 信道


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