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2015年5月1日(金)
【通読】
1テサロニケ 1:1-3
1パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。2私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、3絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。
【ポイント】
①パウロの励ましを受ける
1テサロニケの中心テーマは「再臨」、つまり、イエス・キリストが再び来られることについての教えです。テサロニケの教会の中には再臨について間違った理解をし、再臨が近いのであれば働く必要はないと考える人たち、死んでしまった人にはキリストの再臨の意味が無いと考える人たちがいたようです。また、そのような混乱の中で元の異教的な生活に戻ってしまう人たちも出てきてしまいました。そこでパウロは、大変な状況の中にあっても、忠実にキリストに従い、「信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐」を続けているテサロニケの教会の人々を励ますためにこの手紙を書いたのです。
②「信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐」を続ける
私たちが直面している状況も、テサロニケ教会が直面していた問題と大きく異なることはありません。なぜなら、現代に生きる私たちも依然としてキリストの再臨を待ち望み、その日のために、目を覚まし、主であるキリストとが戻ってくる日まで、主に忠実に従い続けることが求められているからです。イエス様は繰り返しこの点について教えられていますね。その一例としてマタイ24章のイエス様のことばに聞いてみましょう。
“44だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。45主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。46主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。47まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。48ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい』と心の中で思い、49その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、50そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。51そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
③主の不在の中でこそ私たちの忠実さが試される
なぜ、キリストは昇天から2,000年以上も再臨されないままなのでしょうか。実際、パウロも日々再臨も待ち望んでいたはずです。その理由について、使徒ペテロは第二の手紙の中で次のように説明しています。
“4次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」 ・・・ 8しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
2pet 3: 9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。”
イエス様は、一人でも多くの人がキリストの愛を知り、悔い改め、主に信頼するように忍耐強く導かれ続けているのです。ですから、私たちも忍耐強くキリストの再臨を待ち望むことが求められ、その中で、私たちのキリストに対する信頼が試されているのです。ですから、マルコ13章でイエス様はこのように言われたのです。「13また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」
みことばと聖霊の励ましを受け、私たちもキリストの再臨に備える歩みを続けていきましょう。
【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネ15章9節
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」
神様は人間をご自身と関わりあいながら生きて行くように創造されました。
ですから、神様の愛を知らない時に私たちは強い孤独感、不安を覚えます。
しかし、ほとんどの人はその不安の原因が神様の愛を知らない孤独感であることに気づいていません。
ですから・・・
①自分が孤独であることを認める
「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)
②孤独の恐怖から救われる
神様の愛以外に孤独の恐怖からの救いの方法はない
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15: 5)
③キリストにつながる
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)
【今週の祈り】
「主よ、あなたの愛を知らなければ、私は永遠の孤独の中にさまよい続ける存在だったことを覚えます。そして、私を孤独から救うことができるのはあなたの愛、あなたとの交わりだけであることを知りました。どうか、そのことを忘れずに、あなたにつながり続けるものとして下さい。」
ライフチャーチ牧師
大谷信道