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2015年5月22日(金)
【通読】
1テサロニケ3:13-4:2
3:13また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。
4: 1終わりに、兄弟たちよ。主イエスにあって、お願いし、また勧告します。あなたがたはどのように歩んで神を喜ばすべきかを私たちから学んだように、また、事実いまあなたがたが歩んでいるように、ますますそのように歩んでください。 4: 2私たちが、主イエスによって、どんな命令をあなたがたに授けたかを、あなたがたは知っています。
【ポイント】
①この世の状態、意味を理解する
神の計画に基づき「この世」について理解しないと、見当違いな人生を送ることになります。その典型的な勘違いは、自分の人生の喜び、充実感のピークがこの世にあると思ってしまうことです。さらに、その見当違いな世界観は、人間に間違った「成功観」を与えます。つまり、自分として満足でき、この世の人々、家族や友人にも認められる何か、自分として満足できる何かを手にすることが、人生の成功だと考えてしまうことです。世界一、日本一、関東一、業界一、同期の中で一番、親戚の中で一番など、自分で勝手な範囲を決め、その中で一番なり、2番なり、自分が満足できたり、自分で自分を褒めてあげられるような何かを求め続けるのです。しかし、この生き方はどこまでいっても、自分が中心なのです。しかし、現実としては、自他共認めるほどの何かを手にすることができるのは、ほんの一握りの幸運と特異な能力、技術が与えられている人だけです。多くの人は、挫折を味わい人生をあきらめたり、一番になれる範囲を小さくし「お山の大将」のようになってしまうのです。しかし、神様は私たちの間違った世界観によって作り上げられた、この世的な成功には全く興味がありません。この世の名声も、財産も、それ自体では天の国では全く価値を持たない可能性があるのです。
神様の世界観を理解することができなかった青年の話が福音書に記されています。この青年は教えられた律法を熱心に守り、経済的にも大変恵まれていた「成功者」でした。大変強い向上心を持ち、自分の成功にあぐらを書くことなく、自分の向上のためにイエス様に教えを請いに来ました。そこで、イエス様はこのように言われました。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
(マタイ19:21) しかし、この青年の反応はこのように記されています。「ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。」
この青年は、永遠のいのちを求めていたにもかかわらず、神の国価値観を受け入れること、自分の成功の証である財産を捨てることができなかったのです。これが、神の国、永遠のいのちの本当の価値を理解できない、この世の価値観、成功観に蝕まれてしまっている人間の現実なのです。
私たちも、どれほど深くこの世を価値観、成功観に心が蝕まれてしまっているかを知る必要があります。その方法は簡単です。人間は一番大切なもののために、自分の時間とお金を費やします。あなたは、再臨の時に、イエス様から「よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だった!」と声をかけられることを一番の喜びとしているでしょうか。
マタイ6:19-21
19自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。20自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。21あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
あなたの心はどこにありますか?
【今週の礼拝での聖句】
(今後フェイスブックにも用いることになりました。)
ヨハネの福音書15章18-27節
イエス様の福音はこの世が喜ぶ、聞こえのよいリップサービスではありません。イエス様は私たちを愛し、私たちがイエス様を一番愛するという関係を求めています。なぜなら、それが私たちに最高の喜び、平安をもたらす唯一の方法であることを、創造主としてご存知だからです。しかし、この福音の本質ゆえに、この世においては、イエス様を一番にすることを拒絶する人、自分ではなく、イエス様を一番にする人を迫害する者が現われます。イエス様はこの事実を明らかにした上で私たちを招いていらっしゃるのです。ですから、私たちも再度、イエス様の福音、イエス様の招きの意味を再確認することから始めましょう。それが最初のポイントです。
①福音の本質を知る→迫害の理由を知る
・神様の愛を知る→神を愛する→神の命令を守る(出エジプト20:6, ヨハネ14:15)
・神の愛を知る→神を愛する→神に従う(マタイ16:24)
・神様の愛を知る→神を愛する→神を一番にする(マタイ6:33)
しかし、この世の人間は
・神の命令を守りたくない-誰の指図も受けたくない
・神に従いたくない-自分の人生は自分で決めたい
・神様を一番にしたくない-自分の欲求を満たすことが人生の最優先事項
②迫害、拒絶を覚悟する
イエス様の福音、真似の本質を理解すれば、迫害、拒絶が不可避であることを分かります。ですから、私たちはイエス様のことばを真摯に受け取り、覚悟する必要があります。
参)ルカ21:16-17
16しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、17わたしの名のために、みなの者に憎まれます。
③問題の解決方法は二つに一つ
1. キリストの福音を聞こえの良いもの変えてしまう
残念ながら、人気を得たい、嫌われ者になりなくないという誘惑に負け、こちらを選んでしまっている伝道者、牧師が少なからず存在します。具体的には、「罪の滅び」「悔い改め」「キリストへの服従」「戒めを守る」「自分の十字架を負う」という福音の中心メッセージを語らなければ、聞く人から喜ばれ、自分も嫌われたり、拒絶されることもないのです。しかし、こちらはイエス様の伝道方法とは全く別物なのです。
2.迫害を恐れず、福音をありのまま伝える
今日の聖書の箇所を一言でまとめれば、このようになるでしょう。私たちがイエス様に忠実に従い、教えられたとおりに福音を伝えれば、多くの人から反感を得ることになります。反対に、誰でも喜ぶようなメッセージであったとしたら、それはイエス様の福音ではない可能性が高いのです。この、困難な働きを全うするために、イエス様は聖霊を与えてくださったのです。
使徒1: 8
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
ヨハネ15:26-17
26 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。27あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。
2テモテ4: 2-4
2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。3というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
【今週の祈り】
「主よ、あなたを愛します。あなたを愛することを喜ばない者、あなたに服従することをあざ笑う者がこの世にはたくさんいるようです。しかし、そのような人にも間違いなくあなたの福音が必要なのです。どうか、私たちがあなたの福音を水で薄めたり、聞こえの良いものに変えてしまうような、あなたの十字架を無駄にしてしまうような行為に陥るがないように、続けて聖霊をもって力を与えて下さい。」
ライフチャーチ牧師
大谷 信道