デイリーディボーション 5月23日(火)

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デイリーディボーション 5月23日(火)

2017年5月23日(火)

【通読】
マタイの福音書 5:43-48
43『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。45それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。46自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。47また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。48だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。

【ポイント】
①敵を愛する
43節でイエス様が引用している「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」という言葉の意味を考えてみましょう。レビ記19章18節の「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」
という記述から、ユダヤ人にとっての「隣人」とは、同じ国の人間であるユダヤ人であることが分かります。ということは、「敵」とは、ユダヤ人でない人々、つまり「異邦人」であることが分かります。

43節の前半の「自分の隣人を愛し、」という部分は、先に確認したレビ記19章18節からの引用であることが明らかですが、後半の「自分の敵を憎め」という命令は、旧約聖書の中に見出すことができません。つまり、「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」という教えは、「神様のことば」ではなく、後の「人間の教え(いいつたえ)」「人間的な解釈」であることが分かります。

神の御子として、神様の御心を完全にご存知であるイエス様は、当時の人々の間違った認識を正しているのです。つまり、神様の愛の命令は、人種、民族などによって制限されるものではなく、その対処は異邦人を含むすべての人であることを教えられたのです。

②イエス様の命令に従順か?
現代のクリスチャンは、その難しさのゆえに、様々な理由をつけて「敵を愛せないこと」を正当化しようとしています。クリスチャン人口が多く、キリスト教の影響を強く受けている国々も、自分たちの敵に対して戦争を行ったり、人種、男女、出身地、職業などを理由とする差別が存在するようです。イエス様の教えとは全く逆のことが平然と行われ、自分たちの行いがイエス様の命令と矛盾していることさえ気が付かなくなってしまっているのです。なんと、現代のクリスチャンの中には、イエス様の時代のパリサイ人、律法学者のようになってしまっている人がたくさんいるということなのです。

③大切なことは
今日の箇所でも大切なポイントは同じです。私たちの完全さの基準は、神様の完全の基準とは比べ物にならないほど低いということです。そして、私たちはクリスチャンになった後も、イエス様が教えてくださっている理想の姿を追求しながらも、自分がその理想から程遠い、不完全であり、罪深い者であることを、日々謙虚に認め続けることが大切なのです。敵を愛そうと努力するときに、愛することができない自分の惨めな姿を見るのです。しかし、その度に、自分はイエス様の救いがなければ罪の中に死ぬべきものであることを確認し、イエス様がこのような罪深い自分を愛し、赦してくださっていることを再確認できるのです。自分こそ、神様の恵み、赦し、あわれみの中に生かされていることを実感することができるのです。そして、その喜びが、隣人、敵を愛していくモティベーションになっていくのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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