デイリーディボーション 5月26日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 5月26日(金)

2017年5月26日(金)

【通読】
マタイの福音書 6:9-10
9だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。10御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。

【ポイント】
①祈りに現れる私たちの信仰
私たちが神様にお願い事をすることは、決して間違いではありません。むしろ、自分の力ではどうしようもない問題に直面する時に、神様の助けを求めることはごく自然なことですし、神様は私たちの真実な願いに必ず答えて下る方であること聖書は証ししています。「彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。 」(詩篇34:17)

しかし、私たちの神様への語りかけは「お願い事」だけで良いのでしょうか。子どもと親の関係に当てはめて考えてみましょう。親から離れて暮らしている人が、お金に困ったときにしか親に連絡しないとしたらどうでしょうか。お金が届けば感謝の連絡をすることでしょう。親への連絡が「お願い」→送金→「感謝」だけだとしたらどうでしょうか。そのような人の親との関わりは健全なものと言えるでしょうか?また、そのような人に人間的な成熟を感じるでしょうか?答えは「いいえ」です。神様との関係も同じです。上で引用した詩篇34篇の書き出しはこうです。「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。」 この詩篇の著者の第一声は神様への賛美から始まっています。そして、イエス様が「こう祈りなさい」と教えられた祈りにも全く同じ特徴を見ることができます。

私たちの普段の祈りも、「個人的なお願い」から始まり、祈りが答えられれば「感謝」というようなワンパターンに陥ってることはないでしょうか。自分の祈りを客観的に観察し、そこから自分の神様に対する関係性がどのようであるのかを確認してみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info