デイリーディボーション 5月28日(木)

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デイリーディボーション 5月28日(木)

2015年5月28日(木)

【通読】
1テサロニケ4:13-15
13眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。14私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。15私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

【ポイント】
①再臨についての誤解を正す
この箇所から、テサロニケの教会の中には、イエス・キリストの再臨の前に死んでしまった人は復活・永遠のいのちの祝福から漏れてしまうと誤解していた人がいた事が分かります。しかし、ペテロは「私たちはイエスが死んで復活されてことを信じています」と力強く告白しています。それは、単に復活の事実だけを述べているのではありません。むしろ、神はキリストを完全な死者をよみがえらされ、永遠に生きる方とされる力を持った方なので、私たちの肉体の死を心配する必要は全くないと言っているのです。

②再臨に期待をしているか?
現代に生きる私たちは、テサロニケ教会の人々の心配を理解できないかもしれません。その理由は、2,000年間キリストの再臨がなかったのだから、再臨はまだ先だろうと思っていることにあるのではないでしょうか。実は、現代の多くのクリスチャンのように、キリストの再臨と御国の完全な到来に対する期待が薄れている事のほうがずっと大きな問題なのです。というのも、「自分が死ぬまでキリストの再臨はない」と考えて生きている人は、生きている間に再臨の準備をしなくなってしまうからです。

③再臨について教える、考える
例えば、マタイの福音書は再臨についての教えに2章(24章、25章)費やしています。ちゃんと調べていませんが、おそらくマタイの福音書に記されているイエス様のことばの10%以上にあたるはずです。みなさんの意識の中で再臨、再臨のための準備はどれぐらいの割合を占めているでしょうか。何十周年かの周期で来るはずの大地震に対しても十分な備えができない私たちですから、2,000年間起きていない再臨のために備え、再臨があることを前提にして日々生活することは大変なことです。しかし、イエス様は再臨対し「目をさましていなさい」と繰り返し命令されているのです。

マタイ24章
「42だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。 」

【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネの福音書15章16節

今日はペンテコステ礼拝です。しかし、なぜ、私たちにとてペンテコステ・聖霊降臨が重要なのでしょうか。そもそも、あなたは、ペンテコステという言葉を聞いて、心に喜びや嬉しさがあふれるでしょうか?喜びを感じてもいないのに、ペンテコステをお祝いするなんて変だと思いませんか?ですから、今日はペンテコステの喜びについて確認してみましょう。

具体的な説明をする前に質問から始めます。
「あなたは、あなたのすべてを理解し、ありのままを受け入れてくれ、いつも見方になってくれ、いつまでも一緒にいてくれる誰かがいますか?」同じような質問は以前にもしたことがありますね。しかし、私たちにとって極めて重要な質問なので、再度お聞きしました。じっくりと考えてみてください。親、子ども、配偶者、兄弟、子ども、友人、同僚、上司、恩師などの顔を思い浮かべてみましょう。これらの人の中に、あなたを完全に理解し、受け入れて、常に見方になってくれ、いつまでもいっしょにいてくれる人はいるでしょうか。

私たちの「自分のことを理解し、受け入れてくれる人が欲しい」という欲求は極めて強いものです。そのような存在がいない時に、私たちは大きな孤独感、寂しさ、不安、怒りを感じています。場合よっては自分の性格、精神的な健康に悪い影響を与えてしまうほど大きな問題なのです。しかし、ほとんど人はこの問題を漠然とした不安、満たされない気持ち程度にしか認識せず、その原因が周囲の人間にあると考えてしまうのです。例えば、大嫌いな上司がいたとします。自分ではこの上司を嫌う明確な理由のリストを持っています。しかし、自分では気づいていないけれども、その上司を嫌う本当の理由は、上司に認められ、受け入れられていという欲求が満たされていないことである可能性があるということです。

問題の解決はシンプルです。自分を受け入れ、常い見方となり、いっしょにいてくれる人を見つければいいのです。しかも、面白いことに、自分を100%
受け入れてくれる人が一人でもいれば良いのです。そうすれば、他の人に受け入れられているのかどうかは、あまり気にならなくなるのです。ところが、その一人がいないのです。

しかし、その一人がいるのです。それがイエス・キリストです。

イエス様はこのように約束されました。
「・・・見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20) 「
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネ 14:16)

イエス様は私たちの罪深さ、弱さをすべて知った上で、私たちを愛し、受け入れることを決められました。私たちへの愛が言葉だけでないことを証明するために、十字架にかかられました。そして、私たちと世の終わりまで共にいてくださるという約束を証明するために、聖霊を与えてくださったのです。

ですから、イエス様の聖霊を与える約束が、誰が見ても分かる形で成就したペンテコステの日の出来事が重要なのです。ペンテコステの日の出来事があったからこそ、イエス様の約束を確信をもって信じることができるのです。キリストが自分を愛し、受け入れ、最後の最後まで共にいてくださると信じることができるので、この世のほとんどの人が抱えている孤独感、寂しさ、不安から解放されるのです。

母親が赤ちゃんを抱くように、キリストが私たちを抱きしめてくださっている姿を想像してみましょう。そして、ありのままの姿で身を委ねてみましょう。

ライフチャーチ牧師
大谷 信道


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