デイリーディボーション 5月29日(月)

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デイリーディボーション 5月29日(月)

2017年5月29日(日)

【通読】
マタイの福音書 6:16-18
16断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。17しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。18それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。

【ポイント】
①誰のために行っているのか?
今日の箇所で、イエス様は偽善的な信仰のあり方を厳しく批判し、天の父との生きた交わりを中心とする純粋な信仰のあり方を教えられています。イエス様の目からすると、偽善的な信仰と純粋な信仰は一目瞭然だったわけですが、ユダヤ人たちはそうではありませんでした。多くの人は「断食」を信仰熱心から来る行いだと思いこんでいました。ですから、断食する人は、いかにも厳しい断食を行っていることを、神様に対してではなく、人々に分からせようと「やつれた顔つき」をしたりしたのです。そして、周りの人々のも「あの人の信仰はすごい!」と思ってしまったのです。

このような例を聞くと、私たちは「なんて馬鹿なことをしているのだろう。」と思うわけですが、決して他人事ではありません。教会においても、自分は熱心に奉仕しているのに、牧師や他の信徒からねぎらいの言葉もなかったと腹を立てたり、へそを曲げてしまう人が出てきてしまうことがあるのです。「神様のためにさせていただいている」ではなく、「人(牧師・信徒)のためにしてあげている」という意識になってしまうのです。私たちは、これがサタンの用意した落とし穴であることを知らなくてはなりません。「牧師から褒められなかった」「だれも手伝ってくれなかった」というような欲求不満がきっかけで、教会全体を巻き込むような大きな問題に発展するケースが驚くほど多いのです(会社などの中での同じような出来事がたくさんありますね。)。

もちろん、互いに労い合うということは大切です。しかし、「人から褒められたい」という欲望についての根本的な解決策について、イエス様ははっきりと教えられています。それは「18それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。」という箇所です。今日は例として「断食」があげられていますが、先週の「祈り」も全くおなじポイントが教えられていました。つまり、今日も生きておられ、私たちと共にいてくださる神様が、私たちの良い行いを見てくださっており、褒めてくださっているという確信を得ることです。天の父とのこのような関係を築くことができれば、「人から褒められたい」という欲求不満から自由にされ、「神様から褒められている」という満足、平安を得ることができるのです。そして、神様にある満足、平安を持っている人が健全な群れを形成していくのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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