デイリーディボーション 5月30日(土)

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デイリーディボーション 5月30日(土)

2015年5月30日(土)

【通読】
1テサロニケ4:17b-18
17・・・このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 18こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

【ポイント】
①「いつまでも主とともにいる」喜びを知る
もし本当に地獄と天国が存在するのであるとすれば、すべての人は地獄ではなく天国に行きたいと思うでしょう。しかし、これまで何度も学んできたように、天国での喜びの中心は天国という場所に行くことではありません。今日のパウロのことばからも明らかなように、天国での喜びの中心は「いつまでも主とともにいること」なのです。あなたが期待している天国は、聖書が教えている天国と同じでしょうか?

場所、空間が天国を規定するものでなく、主との愛の関係が天国を規定するのであれば、この地上にあっても、主を信じ、愛の支配を受けている者が集まることろは天国の一部でもあるということができます。ルカの福音書17章でイエス様はこのように教えています。“20さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。『神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。21『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」 ”

とは言え、私たちは依然として朽ちていく肉体、罪の性質を持っています。肉体の目で主を直接捉えることも、肉体の手で主の手に触れることもできません。もちろん、聖霊は私たちと共にいてくださいますが、イエス様の再臨の時に、イエス様と直接会い、完全な慰めを受ける時に経験する喜びはさらに大きなものなのです。

②互いに慰め合いなさい
キリストの完全な慰めが約束されているからこそ、私たちは慰め合うことができるのです。再度、マタイ5章の「山上の教え」から聞きましょう。

「10義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。11わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。12喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」

【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネの福音書15章16節

今日はペンテコステ礼拝です。しかし、なぜ、私たちにとてペンテコステ・聖霊降臨が重要なのでしょうか。そもそも、あなたは、ペンテコステという言葉を聞いて、心に喜びや嬉しさがあふれるでしょうか?喜びを感じてもいないのに、ペンテコステをお祝いするなんて変だと思いませんか?ですから、今日はペンテコステの喜びについて確認してみましょう。

具体的な説明をする前に質問から始めます。
「あなたは、あなたのすべてを理解し、ありのままを受け入れてくれ、いつも見方になってくれ、いつまでも一緒にいてくれる誰かがいますか?」同じような質問は以前にもしたことがありますね。しかし、私たちにとって極めて重要な質問なので、再度お聞きしました。じっくりと考えてみてください。親、子ども、配偶者、兄弟、子ども、友人、同僚、上司、恩師などの顔を思い浮かべてみましょう。これらの人の中に、あなたを完全に理解し、受け入れて、常に見方になってくれ、いつまでもいっしょにいてくれる人はいるでしょうか。

私たちの「自分のことを理解し、受け入れてくれる人が欲しい」という欲求は極めて強いものです。そのような存在がいない時に、私たちは大きな孤独感、寂しさ、不安、怒りを感じています。場合よっては自分の性格、精神的な健康に悪い影響を与えてしまうほど大きな問題なのです。しかし、ほとんど人はこの問題を漠然とした不安、満たされない気持ち程度にしか認識せず、その原因が周囲の人間にあると考えてしまうのです。例えば、大嫌いな上司がいたとします。自分ではこの上司を嫌う明確な理由のリストを持っています。しかし、自分では気づいていないけれども、その上司を嫌う本当の理由は、上司に認められ、受け入れられていという欲求が満たされていないことである可能性があるということです。

問題の解決はシンプルです。自分を受け入れ、常い見方となり、いっしょにいてくれる人を見つければいいのです。しかも、面白いことに、自分を100%
受け入れてくれる人が一人でもいれば良いのです。そうすれば、他の人に受け入れられているのかどうかは、あまり気にならなくなるのです。ところが、その一人がいないのです。

しかし、その一人がいるのです。それがイエス・キリストです。

イエス様はこのように約束されました。
「・・・見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20) 「
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネ 14:16)

イエス様は私たちの罪深さ、弱さをすべて知った上で、私たちを愛し、受け入れることを決められました。私たちへの愛が言葉だけでないことを証明するために、十字架にかかられました。そして、私たちと世の終わりまで共にいてくださるという約束を証明するために、聖霊を与えてくださったのです。

ですから、イエス様の聖霊を与える約束が、誰が見ても分かる形で成就したペンテコステの日の出来事が重要なのです。ペンテコステの日の出来事があったからこそ、イエス様の約束を確信をもって信じることができるのです。キリストが自分を愛し、受け入れ、最後の最後まで共にいてくださると信じることができるので、この世のほとんどの人が抱えている孤独感、寂しさ、不安から解放されるのです。

母親が赤ちゃんを抱くように、キリストが私たちを抱きしめてくださっている姿を想像してみましょう。そして、ありのままの姿で身を委ねてみましょう。

ライフチャーチ牧師
大谷 信道


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