デイリーディボーション 5月7日(木)

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デイリーディボーション 5月7日(木)

2015年5月7日(木)

【通読】
1テサロニケ 1:9-10
9私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、10また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。

【ポイント】
①「証し」は生き方の変化
偶像崇拝の影響を強く受けている人は超自然的な出来事、不思議な出来事に神様の臨在を求めようとします。反対に、不思議な出来事が有れば、それが神様の働きだと信じてしまいます。ですから、かつてのオウム真理教のように、教祖が何らかのトリックを使えば、教祖が神であると信じてしまうのです。言ってみれば、「教祖」や「神」を動物園の檻の中、水族館の水槽の中に入れ、観察し、なにかすごいことをすれば、それに感激し、いわば、その教祖や神の愛好家、ファン、サポーターになっているだけなのです。その姿を見ていれば、自分も幸せになれたような気分になってしまうのです。

しかし、「生けるまことの神」はそのような、愛好家、ファン、サポーターは求めていません。実際、イエス様が見せた姿は、誰でもがファンになってしまうような、勝利者としての姿でなはなく、十字架の上で屈辱を受け、無力な中で死んでいく無様な姿でした。多くの人は、この情けない姿に絶望し、イエス様のもとを離れて行きました。しかし、メシアとは到底信じられないイエスの無様な死に方を目撃しながら、イエスのことばを信じた弟子たちがいました。この弟子たちの生き方が変えられたことを直接見聞きした人々は、彼らが主張しているイエスの復活が事実ではないかと信じるようになり、イエス・キリストへの信仰へと導かれたのです。

この生き方変化は、弟子たちが自分の生活にクリスチャン的なエッセンスを加えたものではありません。つまり、イエス様のことばを自分なりに解釈をして、自分の生活に当てはめたのではなく、自分の生活を、イエス様の弟子としての生活に合わせたのです。もし、テサロニケの教会の人々がクリスチャン風の生活を、自分の生活の一部に取り入れた程度であれば、彼らの生き方の変化が他の地域まで言い伝えられるようなことにはなっていなかったことでしょう。しかし、テサロニケのクリスチャンの生き方の変化はあまりにも大きなものだったので、その生き方の変化が、キリストが生きているという証しとして、多くの人にいい広められたのです。

【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネ15章9節
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」

みなさんは、この箇所を読むときに「ああ、またぶどうの木のたとえか」と、すでに分かっているような気持ちになることはないでしょうか。この「わかったつもり」は、私たちがみことばの力を体験し続けること、クリスチャンとしての成長し続けることの大きな障害となります。私たちは、本当にキリストにつながっているでしょうか。キリストにつながる喜びを体験しているでしょうか。夫婦関係、親子関係、その他の人間関係の中で豊かな実を結んでいることを実感しているでしょうか。「わかっているつもり」にならず、常に新しい思いで、キリストにつながり、愛の中にどどまる取り組みを続けていきましょう!

日々のディボーションも、キリストにつながり、キリストとの関係を深めているために大変役立ちます。そのほか、忙しい日々の中で、キリストを主とし、キリストとの深い交わりを続けていくために何ができるのかを考え、実践してみましょう。

【今週の祈り】
「主よ、あなたの愛の中にとどまるとき、私の抱えている思い煩い、不安、孤独などのすべての問題が、大きな問題では無くなってしまうと信じます。今日も、あなたにつながり、あなたの愛の中にとどまります。続けて、豊かな実を結ぶことができるように、私を導いて下さい。」

ライフチャーチ牧師
大谷信道


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