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2015年5月7日(木)
【通読】
1テサロニケ 2:1-2
1兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。2ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。
【ポイント】
①福音には反対者が起こるという事実を受け入れる
福音を語るときに何が起こるのかについて、イエス様は繰り返し教えられています。例えば、マタイ10章では、このように語られました。
“34わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。35なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです36さらに、家族の者がその人の敵となります。37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。 ”
イエス様特有の極端なたとえ話です。しかし、心が頑なな私たちは、これぐらいはっきりと教えられなければ物事を自分の都合の良いように理解してしまうものです。イエス・キリストの愛を受け入れ、イエス・キリストに信頼する人生は本当に祝福に満ちたものです。しかし、私たちがイエス・キリストを一番愛する者へとするときに、それに反対する家族、為政者、支配者が現れるのです。反対に、周りの空気を読みながら、自分のイエス様との関係を曖昧にしている間は何も起こりません。
でも、自分の夫、妻、婚約者が自分との関係を曖昧にしながら、あたかも独身者のように生きているとしたらどうでしょうか。全く嬉しくありませんよね。「一人の人と結婚することは、世界中の人をふったことなのだ!」というような冗談があります。これと同じで、イエス様を愛するとは、自分にとって一番大切な存在が夫でも、妻でも、子でも、親でもなく、イエス・キリストと決めることなのです。この個人的な決意に嫉妬を覚える人が出てくるのです。
周りの人をわざと怒らせたり、嫉妬させる必要はありません。しかし、反対を恐れず、自分が一番大切にしていることについて、つまり、イエス・キリストを一番愛する者として生きていることを表明することは、イエス様の愛に応えることであることを覚えておきましょう。
【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネ15章9節
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」
みなさんは、この箇所を読むときに「ああ、またぶどうの木のたとえか」と、すでに分かっているような気持ちになることはないでしょうか。この「わかったつもり」は、私たちがみことばの力を体験し続けること、クリスチャンとしての成長し続けることの大きな障害となります。私たちは、本当にキリストにつながっているでしょうか。キリストにつながる喜びを体験しているでしょうか。夫婦関係、親子関係、その他の人間関係の中で豊かな実を結んでいることを実感しているでしょうか。「わかっているつもり」にならず、常に新しい思いで、キリストにつながり、愛の中にどどまる取り組みを続けていきましょう!
日々のディボーションも、キリストにつながり、キリストとの関係を深めているために大変役立ちます。そのほか、忙しい日々の中で、キリストを主とし、キリストとの深い交わりを続けていくために何ができるのかを考え、実践してみましょう。
【今週の祈り】
「主よ、あなたの愛の中にとどまるとき、私の抱えている思い煩い、不安、孤独などのすべての問題が、大きな問題では無くなってしまうと信じます。今日も、あなたにつながり、あなたの愛の中にとどまります。続けて、豊かな実を結ぶことができるように、私を導いて下さい。」
ライフチャーチ牧師
大谷 信道