デイリーディボーション 6月10日(土)

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デイリーディボーション 6月10日(土)

2017年6月10日(土)

【通読】
マタイの福音書 7:24-27
24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

【ポイント】
①みことばを聞いて行なう
聖書の学びの落とし穴の一つは「知的に満足すること」です。自分自身の生き方(哲学、思想、うんちく)を築き上げるためにイエス様の教えを参考にする人は大勢います。しかし、そのような人の多くは自分の興味、関心に対する答えを得ると満足してしまい、それ以上イエス様が教えようとしている真理について理解を深めたり、イエス様のことばを素直に実践しようとしたりしないのです。

別の落とし穴は「感激、感動すること」です。イエス様のみことばで、自分の精神的な悩みに応えてくれる箇所を見つけると、感激、感動するのですが、感情的に響かない箇所には関心を示さないのです。知的な満足を求めている人と同じく、精神的、感情的な満足が得ると、それ以上イエス様との関係を深めることをやめてしまうのです。

もう一つの落とし穴は「宗教的満足を得ること」です。イエス様のみことばを律法、戒律として守っていくことに達成感を覚える人がいます。しかし、その達成感の裏側には、罰を受けたくないという恐れがある場合が多いのです。または、「自分は他の人よりも信仰的でいたい。」などと、より宗教的になることで自己実現しようと試みる人もいるようです。

「知的な満足」も「精神的な満足」も「宗教的な満足」も、その根底に自分の欲求を満たしたいという自己中心(エゴイズム)から出ているもので、純粋にイエス・キリストを求めているわけではありません。気をつけなければ、いつの間にか教会のバイブルスタディーが「知的な満足」のため会、礼拝や祈り会が「精神的な満足」、または「宗教的な満足」のための会のなってしまうことがあるのです。

そのような、落とし穴に落ちないためには、「イエス様のみことばを聞いて行なうこと」を大切にしていくのです。そして、そのために何より大事なことは、イエス様との個人的な関係を築き、常にイエス様と対話するように生活することです。知的、精神的な満足ではなく、イエス様との愛の関係を築く中で体験することができる真の満足、喜び、平安を求めていくのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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