デイリーディボーション 6月10日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月10日(水)

2015年6月10日(水)

【通読】
1テサロニケ5:15
15だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。

【ポイント】
①「意地悪」になっていませんか?
自分の周りのことを考えてみると、常に「意地悪だな」と感じる友だち、上司などがいるものです。さらに、悲しい事実は、親が子どもに意地悪をしているケースを頻繁に見かけることです。親はしつけのつもりなのでしょうが、どう見ても自分の腹立たしさを解消するために理不尽な行為を行っている人がいるのです。子どもが歩くのが遅いのにイライラして、わざと置き去りにするような素振りを見せたり、こどもがおもちゃを片付けなければ、おもちゃを捨ててしまうふりをしたりと、はたから見れば「しつけ」ではなく「意地悪」「腹いせ」にしか見えないような行為を平気で行っている親がいるものです。教育という名目で理不尽な要求を部下に押し付ける上司もたくさんいますね。しかし、相手が自分の言うことを聞いてくれない時に、意地悪な方法で相手の行動を支配するという方法を子どもや、部下に教えているようなものなのです。実際、彼らに「なんでそんなことするの?」と聞けば、「自分のそうされたから。」「自分のときはもっとひどかった!」などと答える人が多くいます。結局のところ、しつけや教育などではなく、「悪をもって悪に報いる」、「自分もやられたからやり返す」という悪の連鎖を続けているだけなのです。

②純粋な愛のムチなのか、意地悪なのかを吟味する
上の例でも明らかですが、「意地悪」の一番の問題は、私たちが誰かに意地悪をするときに、必ずしも意地悪をしているという意識を持っていないことにあります。(もちろん、ちょっと冷静に考えればそれが意地悪であることに気がつくはずですが・・・)
反対に自分は正しく、相手が間違っているという確信があるので、相手への理不尽な振る舞いは、相手が受けるべき当然の報いと考えてしまうのです。だから、パウロが警告しているように「気をつける」必要、自分の行動が愛、真心からでているものであるのかを吟味する必要があるのです。特に、キリストを主と仰ぐ私たちは、この世の倫理的な教えとしてではなく、主イエス様の命令として、悪の連鎖を断ち切ることが求められています。これは戦争についても同じです。欧米のクリスチャンの中には、戦争が平和の実現のための手段となりうると本気で信じている人がいます。しかし、私は、それは恐ろしい勘違いだと思っています。おそらく、最前線で戦っている兵士たちがそうでないことを一番知っていることでしょう。戦争で自分の愛する家族が目の前で死んでいくのを目撃した人は、戦争は平和をもたらすどころか、さらに大きな憎しみを産み出すものであることを知っているでしょう。なぜなら、それは明らかにイエス様の命令に違反しているからです。

話が大きくなってしまいましたが、戦争と同じことが日々の生活の中で起きています。つまり、悪をもって悪に報いるという行為が、家庭、学校、職場で平然と行われているのです。もし、私たちがキリストを主を信じるのであれば、主の命令に従い、日々の生活の中で悪の連鎖を断ち切っていく歩みを続けるべきなのです。

“38『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。39しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。40あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。41あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。42求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。43『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。”  (マタイ5章)

【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:コロサイ人への手紙 3章16節
16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

今週はカリフォルニア・バプテスト大学の聖歌隊による特別讃美の時間を持ちました。聖歌隊がハーモニーを作り上げる時に、また全員が心を合わせて讃美する姿を見るときに、私たちはそれを「美しさ」として感じ、心に喜びが与えられます。神様は、「ハーモニー」「調和」を美しいものと感じるように人間を設計されたのです。しかし、それは同時に神様もハーモニー、調和を喜ばれることを示唆しています。なぜなら、神様はご自分に似た者として人間を創造されたからです。(創世紀1:26)

今週と来週はコロサイ人への手紙の3章から学びますが、ここに記されている教会の姿は、キリストへの信仰によって一致し、まるで美しいハーモニーを奏でるように、一人ひとりが与えられた賜物を用い、互いに支えあっている姿といえるでしょう。ハーモニーは一人では作り出すことができません。また、超一流のソロ歌手が集まったとしても、それが美しいハーモニーになるとは限りません。同じように、私たちは、一人で信仰生活を歩んでも、神様が喜ばれる調和を作り出すことはできません。また、経験豊かな牧師、神学者が集まったとしても、それだけでは一致を実現することはできないのです。そこにいる全員が、自分のスタイル、主張があったとしても、場合によっては教会の調和のためにそれらに変更を加えたり、控えたりすることが求められるのです。聖歌隊も、教会も個人が別々に自分の理想を実現するための場所ではなく、ひとりひとりの個性が生かされつつ、美しい調和を作り出すことを大切にしている集まりであることを覚えておきましょう。

ライフチャーチ牧師
大谷信道


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