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2015年6月12日(金)
【通読】
1テサロニケ 5:20-23
20預言をないがしろにしてはいけません。21しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。22悪はどんな悪でも避けなさい。23平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
【ポイント】
①「預言」とは?
19節には「御霊を消してはなりません。」とありましたね。その具体的な例が20節の「預言をないがしろにしてはいけません。」というものです。「預言」とは何でしょうか。実は、聖書を学んでいるクリスチャンでも、「預言」と「予言」を混同してしまっている人が多いようです。ヘブル書の1章を見てみましょう。「1神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。」ここからも分かるように、「預言」とは、神様が預言者を通してご自身の御心を語られることであって、未来を言い当てる「予言」とは別物です。もちろん「預言」の中には、これから起こる事についての警告などが含まれていますが、その本質は神様が「神様の啓示」「神様の計画」「神様の御心」を預言者を用いて語られることなのです。
②旧約時代の「預言者」と、新約時代の「預言」は別物
預言についての別の誤解は、「牧師は神のことばを語る預言者であり、そのことばは絶対である。」というような理解です。異端的、カルト化してしまう教会の牧師に多く見受けられる傾向です。しかし、現代の「預言」「預言者」に絶対的な権威がないこと、旧約時代の預言者とは別者であることは聖書を見れば明らかです。例えば、ヘブル書の続き(1:3)には「3御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、・・・」とあるように、神様はご自身をイエス・キリストによって100%啓示されわけですから、もはや新たな啓示のために新しい預言者を立てる必要がないのです。さらに、21節「しかし、すべてのことを見分け」とあるように、さらに、1コリント14章29節に「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」ともあるように、「預言」が本当に神様のみこころであるのか見分け、吟味するように命令されています。これは、パウロが言っている「預言」が神の権威を伴う旧約時代の預言、預言者とは別物であることの証拠なのでもあるのです。
③見分ける力を得るには?
1コリント12章10節には霊的な賜物の一つとして「霊を見分ける力」が記されています。パウロの時代、つまり聖書が完成する前の時代は何が本当に神様のみ心であるのかを見極めることは極めて難しい作業でした。しかし、現代においては違います。例を見分ける賜物が与えられた人々によって、聖書が記され、聖書が編纂されたからです。ですから、使徒の時代とは違い、現代に生きる私たちは、誰かが「預言」したとしたら、その内容が本当に正しいのか否かを、聖書に照らし合わせることで確認できるのです。ここに、私たちがきちんと聖書を学ぶ責任を見ることができます。教会が異端化、カルト化する原因は、間違った牧師、教師だけにあるのではありません。パウロを通して命令されている、「見分ける」作業を疎かにしてしまった信徒にも、大きな責任があるのです。健全な教会は牧師一人で建て上げることはできません。メンバー全員が、熱心に聖書を学び、聖書的な教会を目指すときに初めて、教会全体が健全さを維持することができるのです。ですから、聞きかじりの知識を集めるのではなく、直接聖書から聴き続ける歩みを続けましょう!
【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:コロサイ人への手紙 3章16節
16キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
今週はカリフォルニア・バプテスト大学の聖歌隊による特別讃美の時間を持ちました。聖歌隊がハーモニーを作り上げる時に、また全員が心を合わせて讃美する姿を見るときに、私たちはそれを「美しさ」として感じ、心に喜びが与えられます。神様は、「ハーモニー」「調和」を美しいものと感じるように人間を設計されたのです。しかし、それは同時に神様もハーモニー、調和を喜ばれることを示唆しています。なぜなら、神様はご自分に似た者として人間を創造されたからです。(創世紀1:26)
今週と来週はコロサイ人への手紙の3章から学びますが、ここに記されている教会の姿は、キリストへの信仰によって一致し、まるで美しいハーモニーを奏でるように、一人ひとりが与えられた賜物を用い、互いに支えあっている姿といえるでしょう。ハーモニーは一人では作り出すことができません。また、超一流のソロ歌手が集まったとしても、それが美しいハーモニーになるとは限りません。同じように、私たちは、一人で信仰生活を歩んでも、神様が喜ばれる調和を作り出すことはできません。また、経験豊かな牧師、神学者が集まったとしても、それだけでは一致を実現することはできないのです。そこにいる全員が、自分のスタイル、主張があったとしても、場合によっては教会の調和のためにそれらに変更を加えたり、控えたりすることが求められるのです。聖歌隊も、教会も個人が別々に自分の理想を実現するための場所ではなく、ひとりひとりの個性が生かされつつ、美しい調和を作り出すことを大切にしている集まりであることを覚えておきましょう。
ライフチャーチ牧師
大谷信道