デイリーディボーション 6月14日(水)

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デイリーディボーション 6月14日(水)

2017年6月14日(水)

【通読】
マタイの福音書 8:14-17
14それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。15イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。16夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。17これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」

【ポイント】
①預言の成就のため
イエス・キリストは癒やし主であり、今も御心のままに私たちの病を癒やすことができる方です。しかし、昨日も学んだ通り、イエス様が地上に来られたのは、私たちの肉体の病を癒やすためではなく、私たちの罪とその報酬である永遠の死から、永遠のさばきから救うためなのです。この点ついて、今日の17節からも確認することができます。「17これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。『彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。』」預言者イザヤはメシア(救い主)は病をいやし、さらにその病を「引き受け」「背負って」下さる方であると預言されているからです。つまり、「病をいやせること」がメシアの条件、目印であったわけです。預言が成就したとは、単に予告がその通りになったというだけでなく、「ナザレ出身でヨセフとマリヤのこどもだと思われていた、あのイエスが預言者イザヤの条件をパスした!」というようなことなのです。

確かに、イエス様はいやしの業によりご自身がメシアであることを証明されました。それでは、いやされた本人たちはイエス様がメシアだと理解し、信仰へと導かれたのでしょうか。その現実について、ルカ17章から見てみましょう。

11そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。12ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、13声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。14イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。15そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、16イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。17そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。18神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」19それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」

ライフチャーチ
大谷信道


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