デイリーディボーション 6月15日(月)

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デイリーディボーション 6月15日(月)

2015年6月15日(月)

【通読】
2テサロニケ 1:1-2
1パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。2父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

【ポイント】
①主にある恵みを受け続ける
「恵みの平安があるように」とはパウロの手紙の典型的な書き始めです。これまで繰り返し学んでいますが、これは時候の挨拶でもなんでもなく、パウロの心からの願いと祈りのことばなのです。キリストの恵みは、キリストを主と信じる者に対し、常に変わることなく注がれています。また、その量も私たちの生き方によって増減するものではありません。ですから、「恵みがありますように」という祈りは、私たちがキリストの恵みからはずれ、行いによる義を求めたり、律法主義に舞い戻ることがないようにという注意なのです。

なんとなく神様の前に罪悪感がある、なんとなく神様が遠く感じる、などという症状が常にそこにある恵みを受け損なっているサインです。そして、熱心な奉仕、祈り、断食などの行いによって、罪悪感や神様との距離を埋められると考えたり、実践しているとしたら、それは症状を悪化させる要因となります。難行苦行ができている間は気分が良くなるでしょうが、いずれ疲れてしまい、また前の状態に戻ってしまうことでしょう。過食と拒食を繰り返すような状況に陥ってしまうのです。

②平安を求める
神様の恵みを上手に受けることができると、心に平安が訪れます。恵みと平安は常にセットなのです。自分が神様からの恵みを受けている思っていても、もし心にキリストの平安がなければ、何かが間違っていることを知ることができるのです。行いによって神様の好意を得ようとしても、その時に心の中には平安ではなく、「これをしなかったら神様から嫌われてしまう」という恐れしかありません。ですから、私たちは、行いによってではなく、神様の一方的な愛によって赦され、受け入れられていること、つまりキリストの恵みを信じ続ける時のみに、心に平安が与えられるのです。

【今週のメッセージ】
明日掲載します。

ライフチャーチ 牧師
大谷信道


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