デイリーディボーション 6月15日(木)

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デイリーディボーション 6月15日(木)

2017年6月15日(木)

【通読】
マタイの福音書 8:18-22
18さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。19そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」20すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」21また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」22ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」

【ポイント】
①キリストに従う
一人の律法学者がイエス様の弟子になりたいと願い出てきました。律法学者は悪者のように扱われることが多いのですが、彼ら全員がイエス様を敵対していたわけではないことが分かります。イエス様は、ユダヤ人の中で確固たる地位、尊敬を築き上げてきた律法学者に対して、イエス様に従うことによって、この律法学者が手にしているものを捨てる覚悟をすること、そして、従った後は寝る場所にすら苦労するような生活が待っていること告げました。

また、別のひとりの弟子がイエス様の所に来て、従う前に自分の父を埋葬することを願い出ます。イエス様の答えは「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」というものでした。多くの人は、イエス様が必要以上に厳しいことばをかけられているという印象を得るかもしれませんが、そうではありません。イエス様は、霊的な視点からの優先順位を教えられただけなのです。確かに葬儀は大切なものです。しかし、どんなに丁重に葬儀を行ったとしても、死人が生き返ることはないのです。一方、イエス様を信じ、従う者は、永遠のいのちが与えられ、新しく生きる者とされるのです。

この律法学者と弟子がイエス様のことばを聞き、そのまま従って行ったか否かは記されていません。しかし、今日の箇所から明らかな点は、イエス様を信じ、従うことによって私たちは何にも代えがたい祝福を頂くことができますが、同時に、イエス様に従ったゆえの困難、イエス様に従う際に捨てるべきものあるということです。これは、信仰以外でも起こり得る「二兎追うものは一兎をも得ず」という現象に似ているのです。あなたは、二兎追うような信仰の歩みをしていることはないでしょうか?

ライフチャーチ
大谷信道


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