誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2015年6月17(水)
【通読】
2テサロニケ 1:4
4それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
【ポイント】
①迫害と患難は不和、疑心暗鬼をもたらす
迫害、患難の本当の問題は、教会の一致を破壊することにあります。私たちの多くが想像する迫害や艱難に対する恐れは、「自分や自分の家族が危険な目に合わないだろうか」、「自分は最後までキリストへの信仰を持ち続けることができるだろうか」というような、個人的な恐れではないでしょうか。しかし、迫害の一番の恐れは、教会の群れが散り散りにされていくことです。実際、迫害者の真の目的は個人的な信仰を失わせることではなく、教会の群れ消滅させることにあります。なぜなら、迫害者はクリスチャンが集まることによって励ましや力を取り戻し、さらに増殖していくことを知っているからです。反対に、集まることをやめさせれば、信仰の火が消され、教会が力を失い、社会の中での影響力を失っていくのです。
②個人の信仰が群れに大きな影響を与えていることを知る
誰かが迫害のために、群れから去って行く時に、群れ全体は大きな悲しみに包まれます。反対に、迫害を受けても集まり、礼拝し続ける個人がいたとしたら、その人のために群れは大きな励ましを受けます。スポーツの団体競技、音楽の合奏などの経験がある人は、一人の行動がチーム、楽団全体にどれだけ大きな影響を与えるのかを知っていると思います。教会も同じです。私たちが意識していなくても、教会の群れに影響を与える意図がないとしても、私たち一人ひとりの信仰の歩みは、それが良いものでも、悪いものでも、教会全体に大きな影響を与えているのです。昨日も学びましたが、私たちクリスチャンは、「信仰の歩みが個人的なものである」というような全く聖書的でない感覚を捨て去る必要があります。私たちの歩みが、周りの兄弟の信仰を強めも、弱めもするのです。
文脈はちょっと違いますが、礼拝の中で異言を話したがる人に対し、異言の賜物で悦に入っている人に対して、パウロはこのように言っています。「17あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。 」(1コリント14:17)
③だから、互いに励まし合うことが大切
先日学んだばかりの1テサロニケ5:11を再度確認しましょう。「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」自分の信仰の歩みが他の兄弟姉妹の励みになっているのか、徳を高めることになっているのかを、考えてみましょう。一番の励ましは、あなたの存在自体です。あなたが、特別なことをしたり、話したりしなくても、あなたが集まりにいることだけでも大きな励ましになるのです。実際、礼拝の人数が少ない日は寂しさを覚え、いつもより多くの人が集められると、それだけで教会が活気付き、温かさが増し加わる感じがするのです。これは、神様が造られた人間に与えられている不思議なダイナミクスなのです。
【今週のメッセージ】
コロサイ人への手紙 3:12-17
「神の家族形成に関わる」
私たちは、キリストの愛を受け取り、その愛を持って神を愛し、隣人を愛し続けるという生き方に招かれています。なぜなら、キリストを信じるとは、キリストを愛し、その戒めに従うことを意味しているからです。それでは、私たちはどこでこの戒めを実践していくのでしょうか。それは教会です。別の言い方をすれば、キリストを愛をもって互いに愛し合い、赦し合う約束をもって集まっている人々の群れが教会なのです。
①私たちは、キリストのからだの建て上げに召されている
エペソ4: 1-3
1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。2謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、3平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
残念ながら、多くのクリスチャンが①のキリストからの招きを理解せず、自分の利益を求め信仰生活を続けているいるのです。そこで、②番目のポイントです。
②自分の利益のための信仰生活(夫婦・子育て)はうまく行かなくなることを知る
ヤコブ4:1-3
1何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。2あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。3願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
そこで、私たちはキリストの招きについて知り、その具体的な姿を聖書から学ぶことが重要なのです。
パウロのことばから、私たち、キリストに召されている者が取り組むべき事柄を確認しましょう。
1.互いに忍び合いなさい(13節)
2.互いに赦し合いなさい(13節)
3.キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、
4.知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、
5.詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。(16節)
これらを実践する最高の形が、教会のスモールグループなのです。
③教会のスモールグループはキリストの召しの実践の最高の場
特に、4番を見てみましょう。互いに教えあうこと、互いに戒め合うことは、100人のグループでは不可能です。20人でも難しいかもしれません。つまり、パウロの思い描いている教会の姿は、決して大きなグループではないのです。大きな教会が良い教会であると勘違いしている人がいるようですが、もし、ここではっきりと記さている事柄実践できていないとしたら、決して良い教会とは言えないのです。反対に、せっかく少人数の教会であっても、互いに教え合い、戒め合う事に熱心でなければ、聖書に忠実な教会とは言えません。
私たちライフチャーチにあっては、キリストのみことばに忠実な教会を目指して行こうではありませんか。なぜなら、そこに大きな祝福、平安があるからです。
コロサイ3:15
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
ライフチャーチ 牧師
大谷信道