デイリーディボーション 6月2日(火)

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デイリーディボーション 6月2日(火)

2015年6月2日(火)

【通読】
1テサロニケ5:4
4しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

【ポイント】
今日の聖書の箇所は明日学ぶとして、今日は、ある牧師が神社仏閣に油をまいたという疑いがかけられている事件についてコメントします。

裁判で事実が明らかにされ、有罪となっているわけではないので、断言することはできませんが、自身の動画や様々な証言から、おそらく事実なのでしょう。しかし、この事件は氷山の一角であると理解するべきだと思います。問題の本質は、聖書を逸脱したことを教えたり、行っていたことです。今回の事件もそうだと思われますが、特に、聖霊、悪霊の曲解により、教会や教団がカルト化していくケースが多くあると思います。そこで、聖書の中に見ることができる、聖霊、悪霊の基本的な特徴を確認しましょう。

①悪霊、聖霊が建物、場所、彫像などに住むことはない。
キリスト教以外の宗教では土地、建物などに悪い霊が住んでいて、そのような霊を追い出すという行為をよく見ます。しかし、少なくとも福音書を確認する限り、イエス様が建物や土地に住んでいる悪霊を認める例、建物や土地から悪霊を追い出すこともされていません。ある意味、神様が人間の作った建物や、偶像に住まないのと同じなのです。

にもかかわらず、多くの牧師やクリスチャンが建物に手を置いて悪霊の追い出し、聖霊が満たされるように祈るということに何の問題も感じることなく、習慣的に行っています。また、「主よ、この場所を聖霊で満たして下さい!」という祈りもよく聞きますが、それが「ここに集う一人ひとりを聖霊で満たして下さい」という意味でないとしたら聖書的でない祈りであると理解するべきです。もちろん、教会、礼拝堂の献堂式などで、土地、建物の聖めを祈ることがありますが、それは、その式の名の通り、その建物を神様におささげするために、その建物が神様に喜ばれる聖いものとされることを願い求める行為、捧げる者の罪の悔い改め、献身を表す行為であって、悪例を追い出すためでも、建物に聖霊が住むための祈りではありません。

このように考えると、建物、場所に悪霊がいるという感覚は、私たちが偶像礼拝(人間が作ったものに霊が宿るという感覚)から離れることができていない証拠、日本の民衆信仰の中で理解している「霊」と、聖書で教えられている聖霊、悪霊を混同している証拠でもあるのです。

②この世の秩序に従わなければならない
極端な迫害を別にして、イエス様の弟子たちはローマ帝国の法律を守り、為政者の言うことを聞きながら生活していました。例えば、イエス様はマタイ22章でこのように教えられました。“21彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」”
つまり、ローマ帝国に住むものは、納税の義務をきちんと守るように教えられたのです。また、パウロはロマ書13章で「1人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」、「 5ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。」と教えています。

ですから、いかに信仰的な確信があったとしても、私たちクリスチャンは法律を犯すようなことをしてはならないのです。

③聖書を体系的に学ぶ
問題とされている牧師は神学校で学んだことがないようです。もちろん、神学校を出た牧師が偉いわけでもなんでもありません。ただ、聖書を体系的に読むトレーニングを受けていないことは、大変危険なことであることを知っている必要があります。これは、賛美歌、プレイズソングの作詞をする人、クリスチャンとして本を出版する人などにも言えます。なぜなら、自分が教える事、自分が書いたものが、多くの人の信仰に大きな影響を与えるからです。この牧師も多くの人に間違ったことを教え、間違った行動に導いてしまった可能性があります。そうだとしたら、それは神様の前に大変大きな罪を犯したことになります。私たちが求められていることは、持論や個人的な体験から教えるのではなく、イエス様のみことばを教えることだからです。

「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20

【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネの福音書16章8、13節
8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

先週は、ペンテコステの出来事は、弟子たちだけでなくその場にいたすべての人が弟子たちに聖霊が与えられることを目撃したことにあったこと、さらにそれはイエス様の約束が間違いなく成就したことを弟子たちが確信したこと学びました。

聖霊の働きが異言、預言、癒し、悪例払い、突然のひらめき(啓示)、予期しない出会いなどばかりを想像する人が多いかもしれません。もちろん、それらすべてを弟子たちも経験していることは確かです。しかし、ペンテコステの本当の重要性がそのような特別な出来事にあるのではないことは、使徒の働きのペンテコステの記事を読めば明らかです。イエス様は聖霊が与えられる前のこのように約束されました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

そして、ペンテコステの日にそれが起こるのです。つまり、「聖霊が与えられる」→「主をあかしする」というイエス様の約束と命令の通りのことが起きたのです。実は、この約束は使徒の働きだけでなく、今日のヨハネ16章にもはっきりと記されているので、しっかりと学んでみましょう。(礼拝では用いなかった聖書箇所も加えてあります。)

①聖霊は私たちに罪を認めさせる
聖霊の力をもってキリストを証しすると人々は罪を認め、悔い改めに導かれます。
ヨハネ16: 8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
使徒  2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

②聖霊はイエスの義を明らかにする。
聖霊の力をもてキリストを証しすると、キリストの義が明らかにされます。
マルコ15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった」と言った。

③聖霊は裁きについて明らかにされる
聖霊の力をもってキリストを証しすると、さばきの恐ろしさが明らかにされます。
ガラテヤ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

④聖霊は私たちを真理に導き入れる
聖霊の力をもって証しすると、人々は真理を悟ることができる
つまり、①~③にあるように、イエスが間違いなくキリストであること、つまり「「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」という確信に導かれるのです。

聖霊の力強い働きを体験したいというクリスチャンはたくさんいることでしょう。その一番の方法は「キリストを証し」することです。聖霊はそのための力なのです。「主よ聖霊で満たして下さい。あなたの聖霊を体験したいのです!」と祈った時に、主から「どうして?」と聞かれたらどのように答えますか?私たちはこの質問にはっきりと答える必要があるのです。キリストを信じる者すべてに聖霊は与えられています。しかし、聖霊がなぜ与えられているのか、神様がなぜ聖霊を持って私たちに力をあたえらえるのかをはっきりと理解しましょう!

ライフチャーチ牧師
大谷 信道


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