デイリーディボーション 6月2日(金)

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デイリーディボーション 6月2日(金)

2017年6月2日(金)

【通読】
マタイの福音書 6:25-30
25だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。26空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。27あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。28なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。29しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。30きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

【ポイント】
①心配しない
イエス・キリストを信じることによって得られる祝福の一つは「心配からの解放」です。今日のイエス様のみことばを素直に信じれば、日々の必要に関する心配から自由にされるのです。

イエス・キリストを信じる私たちは、「心配からの解放」という素晴らしい祝福を味わっているでしょうか?イエス様の「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。」という命令を現代に生きる私たちに当てはめるとすれば、「どの資格を取ろうか、どの学校に行こうか、どの仕事をしようかと心配してはいけません。」となるでしょう。学歴、資格、キャリアなどを人生のゴールと勘違いしている人が多くいるようです。もちろん、職業は私たちに生きがいや生きる意味を与え得る良いものです。しかし、それらは、究極には日々の糧を得るための手段であることも忘れてはなりません。つまり、私たちも「何を食べようか」「何を着ようか」と生活の心配をしながら生きているということです。多くの人は2000年前の世界よりも現代の方が豊かになったと信じていますが、心に抱えている心配事の本質は全く変わっていないのです。ということは、今日のイエス様の約束は、現代に生きる私たちにもそのまま当てはまり、私たちもイエス様を信じることによって、心配からの解放を味わうことができるのです。

ここに私たちの信仰が求められます。つまり、イエス様が必要を満たしてくださるという約束を、それが起こる前に信じることです。昨日触れた「しるし」を求める人は、「しるしが起きたら信じよう」という人々です。しかし、イエス様は私たちが求める何かが与えられる前に、神様がそれらを与える力を持っている方であることを信じることを求められています。

つまり、イエス様を信頼して歩み始める人は祝福を受けますが、心配し、様子を見ているだけの人は祝福を受けそびれてしまうのです。ですから、心配することを止めるのです。私たちは自分以外の、社会の状況、会社の状況をコントロールすることはできません。しかし、私たちは、イエス様の約束を信じることによって、心配することを止めること、コントロールすることができるのです。これが、信仰によって生きるということなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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