デイリーディボーション 6月21日(水)

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デイリーディボーション 6月21日(水)

2017年6月21日(水)

【通読】
マタイの福音書 9:14-17
14するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」15イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。16だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。17また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」

【ポイント】
①本来の信仰の姿
イエス様はご自分の弟子たちに宗教的戒律、または宗教的習慣として断食を行わせていないことを明らかにされました。とはいえ、イエス様ご自身も40日間の断食をされ(マタイ4:2)、断食の行い方について教えられています(マタイ6:16-18)。また、15節に「しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。」とあるように、イエス様は決して断食自体を禁じられているわけではないのです。

しかし、当時の信心深いユダヤ人は断食を行っていました(ルカ18:12)。ですから、「断食=信心深い」という固定概念が出来上がってしまっていたわけです。これが、イエス様が言っている「古い着物」「古い革袋」なのです。ここで注意が必要なのは、イエス様は決して「古い」ことが悪いと言っているのではないということです。「古い着物」とは、ユダヤ人が守っていた「いいつたえ」(マタイ15章)であり、聖書本来の教えから外れているユダヤ人達の「信仰に対する固定概念」のことなのです。それらの固定概念を持っている限り、イエス様の教え、聖書本来の教えを受け入れることができないと注意されたのです。

現代のクリスチャンの間でも、勝手に作り出された「信心深い人のイメージ」があるようです。しかし、それらのイメージが本当にイエス様の求められている姿なのかを、イエス様のみことばから検証することが大切なのです。そして、今日の箇所に見ることができる、本当に信心深い者の姿とは、イエス様との交わりを喜び、大切にする者であるのです。神様が求められているのは、神様、イエス様との生きた交わりを求める者なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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