誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2017年6月22日(木)
【通読】
マタイの福音書 9:18-24
18イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」19イエスが立って彼について行かれると、弟子たちもついて行った。20すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。21「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで考えていたからである。22イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。23イエスはその管理者の家に来られて、笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、24言われた。「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」すると、彼らはイエスをあざ笑った。25イエスは群衆を外に出してから、うちにお入りになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。26このうわさはその地方全体に広まった。
【ポイント】
①イエスはエリヤ、エリシャ以上の者でなければならない
預言者エリヤ(1列王記17章)もエリシャ(2列王記4章)死んだ子どもを生き返らせました(実際にいやしを行われたのは神様なのですが…)。ですから、イエス様がメシアであるためには、単に病を癒やすだけでなく、死人を生き返らせることによって、預言者であるエリヤ、エリシャ以上の者であることを証明する必要があったのです。十字架での死からの復活によって、死を克服された方であることが証明されるわけですが、旧約聖書を信じているユダヤ人たちにご自分がメシアであることを悟らせるためには、ユダヤ人たちが理解できる方法、状況でご自分の力を示す必要があったのでしょう。今日の出来事を見聞きしたユダヤ人(旧約聖書をよく知っている人)の誰でもが、その状況がとても似ているために、エリヤやエリシャが子どもを生き返らせた場面を思い出したに違いありません。もちろん、イエス様が会堂管理者をあわれまれ、その信仰に応え、娘を生き返らせたことがわかりますが、このいやしの出来事には、それ以上の意味があるのです。
ライフチャーチ
大谷信道