デイリーディボーション 6月23日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月23日(火)

2015年6月23日(火)

【通読】
2テサロニケ 2:1-4
1さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。2霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。3だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。4彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

【ポイント】
キリストの再臨について、ちょっとまとめてみましょう。

①「主の日」はまだ来ていない(2テサロニケ2:2)
②前兆はあるが「主の日」がいつ来るのかは誰も特定できない(2テサロニケ2:3)
③「主の日」が来た時には、全員が分かる(2ペテロ3:10)
④「主の日」がいつか予想することは、あまり意味が無い(1テサロニケ5:1)
⑤大切なのは「主の日」に備え続けること(1テサロニケ5:4)
⑥「主の日」は、私たちにとっては最高の喜びの日(1テサロニケ4:17)
⑦「主の日」への期待こそ、私たちの希望、忍耐の(ローマ8章)

私たちが、地上での患難、争い、不公平などに忍耐することができるのは、そして、一日一日を前向きに歩むことができるのは、「キリストの再臨」「主の日」の慰めを信じているからです。この希望を捨て、自分勝手な方法で地上での報いを求めることがいかに恐ろしい結果を招くのかを、イエス様のことばから知りましょう。

マタイ7章21-23節
21わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです。22その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』23しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

このことばは、「行いによって救われる」と教えているのではありません。キリストが求めているのは、表面的な宗教熱心さではなく、キリストのことばに対する従順さ、信頼です。再臨のメッセージについても同じです。キリストを信頼している者は、地上での困難に直面しながら、「主の日」に与えられる慰めに希望を持ち続けることができるのです。

【今週のメッセージ】
1ヨハネ1:8-10
8もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。9もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。10もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

私たちは自分の心を開き、正直に関わり合うときに夫婦、親子、友人、同僚との関係を深めることができることを体験的に知っています。相手が心を開いてくれない時に、相手に壁を感じますし、相手との心的な距離が縮まらないときに、自分の心の開き方が十分でないことに気づいたりするものです。ただ、自分は心を開いたのに、相手から拒絶されることもあります。その時な心に大きな痛みを感じますし、次からは心を開くことに慎重になったり、そのような努力が無駄であると考えるようになる人もいることでしょう。しかし、私たち人間は心を開き合い、互いの愛を感じ、共感を覚えることを、本能的に欲しています。神様がそのような生き物としてデザインされたからです。傷つかないために心を閉ざしていても、この欲求は満たされませんから、心の内の愛、共感への渇きは満たされることはありません。

それでは、安心して心を全開にできる相手など存在するのでしょうか?そのような相手がいれば、誰も苦労しないはずです。いるのです。それが神様なのです。神様は、私たちが正直に心を開き、自分の良い所、醜いところをさらけ出しても、驚くことも、失望することも、拒絶することも絶対にありません。すべてを受け入れてくださるのです。

既に信仰を持っている方も、神様が私たちを受け入れてくださることを絶対に忘れてはなりません。必ず受け止めてくださる神様だからこそ、私たちは心を開き続けることが大切なのです。これこそが、神様との関係を深めていく唯一の方法だと言っても良いでしょう。特に、何か失敗してしまった時こそ、神様の前にたち、心を開くことが大切になります。後悔も反省は一人でもできます。しかし、神様は私たちが神様に心を開き、間違いを正直に認め、その思いを伝えることを望まれているのです。ですから、最初のポイントは

①神様に心を開く
1ヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
詩篇32: 5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ

難しく考える必要はありません。神様の前に立てている壁を取り去り、神様の前に正直に罪深さを認めれば良いのです。一言で言えば、心を開くことです。その時に、神様の関係が深められるのです。

実は、キリストを信じる私たちは、キリストに赦されている者同士として、心を開き合うことができます。

②罪を赦された者同士、心を開く
ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

このためには、クリスチャンらしく振る舞ったり、自分を信仰深く見せることをやめなければなりません。牧師であろうが、教会のリーダーであろうが、信仰歴の長い人であろうが、皆神様の前では不完全な者であり、成長の途中であり、日々罪を犯してしまう者なのです。なのに、誰かが自分の罪深さを隠すようになると、その姿勢が教会の中に伝染していきます。自分が十分成熟したと思い、他の人を裁き始めると、それも伝染していってしまいます。反対に、私たちが正直で、ありのままの姿をさらけ出しながらも、主に従って行きたいという思いの中で歩むと、その歩みも伝染していくのです。もし、私たちが健全な交わりのある教会、自分が安心して通える教会を求めているのであれば、自分の心を開き、自分の弱いところも隠さずに表していくこと、さらに相手の弱さに驚いたり、失望せずに、受け入れていく覚悟、約束をすることが必要になります。

ライフチャーチは、そのような交わりを目指しています。そして、各ライフグループのなかで、オープンが関わりが実現しつつあります。
また、現在人の多くは、そのような安全で安心できる人間関係を築ける場所を求めていることを覚えておきましょう。私たちが主にある健全でオープンな交わりを続けていくことが、大きな証となるのです。

使徒 2:46-47
46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

ライフチャーチ 牧師
大谷信道


side_worship side_info