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2015年6月25日(木)
【通読】
2テサロニケ 2:8-12
8その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。9不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、10また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。11それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。 12それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。
【ポイント】
①罪人に対する正しい認識を身に付ける
クリスチャンである私たちがイエス様を信じていない人たちに対する間違った認識を持ってしまう時に、私たちはクリスチャンでない人を軽蔑したり、差別したりするようなことが起きる可能性があります。その原因の一つは、今日のような聖書箇所を間違って理解することにあると思います。つまり、「キリストを信じていない人が永遠の裁き、滅びを受けるのが当然の報いだ」と勘違いしてしまうことです。しかし、今日の箇所も前後関係からきちんと理解すれば、そのようには理解できないことは明白です。ここでのメッセージの中心は、キリストを信じない者の滅びを期待することではなく、迫害に耐え、最後まで真理を信じ続けるところにあります。
そもそも、イエス様は罪人をどのように見ていたのか考えましょう。
マタイ9章12-13節
12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。13『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
ヨハネ3章16-17節
16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
②救いも、裁きも神様に委ねる
残念なことに、私たちが全身全霊を傾け、愛と真心をもってキリストの福音を伝えても、最後までキリストを信じない人たちがいます。中には、キリストの福音を否定したり、クリスチャンを迫害する人もいるかも知れません。しかし、それは私たちの責任ではありません。誰が救われ、誰が救われないのかということについては、神様は決められることだからです。ただ、キリストを信じる者と信じない者の差は今日の箇所に記されているとおりです。ですから、私たちは無慈悲は迫害者がその報いを受けることになる事と、そうであっても神様は彼らが悔い改め、救いを得ることを期待されているという、一見すると矛盾しているよう見える両方の側面を正しく理解することが大切なのです。
【今週のメッセージ】
1ヨハネ1:8-10
8もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。9もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。10もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
私たちは自分の心を開き、正直に関わり合うときに夫婦、親子、友人、同僚との関係を深めることができることを体験的に知っています。相手が心を開いてくれない時に、相手に壁を感じますし、相手との心的な距離が縮まらないときに、自分の心の開き方が十分でないことに気づいたりするものです。ただ、自分は心を開いたのに、相手から拒絶されることもあります。その時な心に大きな痛みを感じますし、次からは心を開くことに慎重になったり、そのような努力が無駄であると考えるようになる人もいることでしょう。しかし、私たち人間は心を開き合い、互いの愛を感じ、共感を覚えることを、本能的に欲しています。神様がそのような生き物としてデザインされたからです。傷つかないために心を閉ざしていても、この欲求は満たされませんから、心の内の愛、共感への渇きは満たされることはありません。
それでは、安心して心を全開にできる相手など存在するのでしょうか?そのような相手がいれば、誰も苦労しないはずです。いるのです。それが神様なのです。神様は、私たちが正直に心を開き、自分の良い所、醜いところをさらけ出しても、驚くことも、失望することも、拒絶することも絶対にありません。すべてを受け入れてくださるのです。
既に信仰を持っている方も、神様が私たちを受け入れてくださることを絶対に忘れてはなりません。必ず受け止めてくださる神様だからこそ、私たちは心を開き続けることが大切なのです。これこそが、神様との関係を深めていく唯一の方法だと言っても良いでしょう。特に、何か失敗してしまった時こそ、神様の前にたち、心を開くことが大切になります。後悔も反省は一人でもできます。しかし、神様は私たちが神様に心を開き、間違いを正直に認め、その思いを伝えることを望まれているのです。ですから、最初のポイントは
①神様に心を開く
1ヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
詩篇32: 5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
難しく考える必要はありません。神様の前に立てている壁を取り去り、神様の前に正直に罪深さを認めれば良いのです。一言で言えば、心を開くことです。その時に、神様の関係が深められるのです。
実は、キリストを信じる私たちは、キリストに赦されている者同士として、心を開き合うことができます。
②罪を赦された者同士、心を開く
ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
このためには、クリスチャンらしく振る舞ったり、自分を信仰深く見せることをやめなければなりません。牧師であろうが、教会のリーダーであろうが、信仰歴の長い人であろうが、皆神様の前では不完全な者であり、成長の途中であり、日々罪を犯してしまう者なのです。なのに、誰かが自分の罪深さを隠すようになると、その姿勢が教会の中に伝染していきます。自分が十分成熟したと思い、他の人を裁き始めると、それも伝染していってしまいます。反対に、私たちが正直で、ありのままの姿をさらけ出しながらも、主に従って行きたいという思いの中で歩むと、その歩みも伝染していくのです。もし、私たちが健全な交わりのある教会、自分が安心して通える教会を求めているのであれば、自分の心を開き、自分の弱いところも隠さずに表していくこと、さらに相手の弱さに驚いたり、失望せずに、受け入れていく覚悟、約束をすることが必要になります。
ライフチャーチは、そのような交わりを目指しています。そして、各ライフグループのなかで、オープンが関わりが実現しつつあります。
また、現在人の多くは、そのような安全で安心できる人間関係を築ける場所を求めていることを覚えておきましょう。私たちが主にある健全でオープンな交わりを続けていくことが、大きな証となるのです。
使徒 2:46-47
46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
ライフチャーチ 牧師
大谷信道