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2015年6月26日(金)
【通読】
2テサロニケ 2:13-14
13しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。14ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。
【ポイント】
①神様の選びは運命ではない
この点については何度も学んでいますね。確かに、すべてご存知である神様から見れば、最終的に誰がキリストを信じ救われ、誰が最後までキリストを信頼せず滅びていくのかはご存知でしょう。もし、すべてが運命として決まっているのであれば、私たちの福音宣教の働きは虚しいものとなるでしょう。なぜなら、私たちが何をしても、しなくても神様が決められた未来は変わることがないはずだからです。しかし、ご存知のように、イエス様に福音宣教の働きを委ねられているのです。とは言え、私たちが努力すれば、神様の計画とは別の未来の姿に変えられるかといえば、やはり、それも違います。なんだかよくわからなくなりますね。
②神様が求められているのは哲学的な議論ではない
全知全能の神様の定められていることについて、私たちがいくら議論しても完全に知ることはできないという謙虚さ持つことが重要です。神様の選びについていくら議論しても、それはキリストのみことばに忠実とは言えないからです。愚かな私たちは、つまらない詮索をするよりも、キリストのことばを忠実に守ることが重要なのです。事実、そのような歩みを続けているテサロニケの教会の人々の信仰を見て、パウロは「あなたがたを、初めから救いにお選びになった」と評しているのです。パウロが特別な力により、未来世を予見し、選びについて言及しているわけではないのです。テサロニケ教会のメンバーのクリスチャンとしての歩みがいい加減なものであったら、このようなことばがパウロから発せられることはないのです。
さらに、このことばは100%確かな予言でも、全員の救いの保証でもなく、テサロニケ教会の人々に対する労い、励ましであることも忘れてはなりません。それは、この後の15節を見れば明らかです。「そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。」私たちは、自分で救いを獲得したわけではなく、神様の選びによってキリストを知り、キリストに人生を捧げるようになったわけですから、自分の選びにおごり高ぶることなく、むしろ感謝をもって、主に仕えていくことが求められているのです。また、現段階で救われていない人々を蔑むようなこともあってはなりません。神様の恵みとあわれみによって救われた私たちは、おなじ恵みをあわれみが私たちの家族、友人の上にも注がれていることを信じ、彼らの救いのために祈り、分かりやすく福音を伝えていくことが求められているのです。
【今週のメッセージ】
1ヨハネ1:8-10
8もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。9もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。10もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
私たちは自分の心を開き、正直に関わり合うときに夫婦、親子、友人、同僚との関係を深めることができることを体験的に知っています。相手が心を開いてくれない時に、相手に壁を感じますし、相手との心的な距離が縮まらないときに、自分の心の開き方が十分でないことに気づいたりするものです。ただ、自分は心を開いたのに、相手から拒絶されることもあります。その時な心に大きな痛みを感じますし、次からは心を開くことに慎重になったり、そのような努力が無駄であると考えるようになる人もいることでしょう。しかし、私たち人間は心を開き合い、互いの愛を感じ、共感を覚えることを、本能的に欲しています。神様がそのような生き物としてデザインされたからです。傷つかないために心を閉ざしていても、この欲求は満たされませんから、心の内の愛、共感への渇きは満たされることはありません。
それでは、安心して心を全開にできる相手など存在するのでしょうか?そのような相手がいれば、誰も苦労しないはずです。いるのです。それが神様なのです。神様は、私たちが正直に心を開き、自分の良い所、醜いところをさらけ出しても、驚くことも、失望することも、拒絶することも絶対にありません。すべてを受け入れてくださるのです。
既に信仰を持っている方も、神様が私たちを受け入れてくださることを絶対に忘れてはなりません。必ず受け止めてくださる神様だからこそ、私たちは心を開き続けることが大切なのです。これこそが、神様との関係を深めていく唯一の方法だと言っても良いでしょう。特に、何か失敗してしまった時こそ、神様の前にたち、心を開くことが大切になります。後悔も反省は一人でもできます。しかし、神様は私たちが神様に心を開き、間違いを正直に認め、その思いを伝えることを望まれているのです。ですから、最初のポイントは
①神様に心を開く
1ヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
詩篇32: 5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。セラ
難しく考える必要はありません。神様の前に立てている壁を取り去り、神様の前に正直に罪深さを認めれば良いのです。一言で言えば、心を開くことです。その時に、神様の関係が深められるのです。
実は、キリストを信じる私たちは、キリストに赦されている者同士として、心を開き合うことができます。
②罪を赦された者同士、心を開く
ヤコブ 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
このためには、クリスチャンらしく振る舞ったり、自分を信仰深く見せることをやめなければなりません。牧師であろうが、教会のリーダーであろうが、信仰歴の長い人であろうが、皆神様の前では不完全な者であり、成長の途中であり、日々罪を犯してしまう者なのです。なのに、誰かが自分の罪深さを隠すようになると、その姿勢が教会の中に伝染していきます。自分が十分成熟したと思い、他の人を裁き始めると、それも伝染していってしまいます。反対に、私たちが正直で、ありのままの姿をさらけ出しながらも、主に従って行きたいという思いの中で歩むと、その歩みも伝染していくのです。もし、私たちが健全な交わりのある教会、自分が安心して通える教会を求めているのであれば、自分の心を開き、自分の弱いところも隠さずに表していくこと、さらに相手の弱さに驚いたり、失望せずに、受け入れていく覚悟、約束をすることが必要になります。
ライフチャーチは、そのような交わりを目指しています。そして、各ライフグループのなかで、オープンが関わりが実現しつつあります。
また、現在人の多くは、そのような安全で安心できる人間関係を築ける場所を求めていることを覚えておきましょう。私たちが主にある健全でオープンな交わりを続けていくことが、大きな証となるのです。
使徒 2:46-47
46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
ライフチャーチ 牧師
大谷信道