デイリーディボーション 6月29日(木)

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デイリーディボーション 6月29日(木)

2017年6月28日(水)

【通読】
マタイの福音書 10:24-25
24弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。25弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、ましてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。

【ポイント】
①イエス様とのあるべき関係を知る
極めて残念なことですが、「イエス様を信じる」ということが具体的に何を意味するのか、そこで求められる具体的な関係性についてきちんと理解できていないクリスチャンが非常に多くいます。イエス様は「自分の願いをかなえてくれる方」「困ったときに助けてくれる方」なので、失礼のない程度に関わっていればよいと考えているクリスチャンが多いように見受けられます。私自身もかつてはそうでした。しかし、そのような関係性は、恋人として何年も付き合いを続けているのにもかかわらず、相手の結婚したいという意思を知りながら結婚に踏み切ろうとしない人に似ています。相手に対して明確な責任を負わず、結婚した者のみに与えられる祝福、幸せを味見しているような態度は大変失礼なものなのです。しかし、イエス様とこのような関係を続けてしまっている人はいないでしょうか。

24節でイエス様は、イエス様と弟子の関係は「子弟関係」「主従関係」と似ていると教えられています。師弟関係は伝統工芸、芸能であったり、職人の世界には依然として残っていますので、想像がしやすいと思います。主従関係については、歴史から学ぶしかないかもしれません。しかし、両方に共通する関係性は「人生をかけて従う」という極めて強いコミットメント(約束)。師匠や主君にいい加減な感覚で仕えることは許されないのです。イエス様を信じることも同じなのです。イエス様は、私達に対して「イエス様に人生を委ねる」「人生をかけてイエス様に従う」という決心、コミットメントを求められているのです。

あなたとイエス様の関係はいい加減なものになっていませんか?イエス様に対するコミットメント(約束)は明確になっているでしょうか。毎日の生活の優先順位にあなたのコミットメントは反映されえいるでしょうか。イエス様はあなたを祝福しようと忍耐強く、あなたの決心を待ち望んでいらっしゃいます。自分の決心(信仰)がいい加減なものになっていると気がつけば、今日、思いを新たにすればよいのです。イエス様を信じたいと思いながら、決心がつかない人は、イエス様の祝福の約束を信じ、イエス様に人生を委ねる決心をしてみましょう。コミットメントが明確になっている人は、そこで体験している祝福を周りの人と分かち合ってみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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