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2015年6月3日(水)
【通読】
1テサロニケ5:4
4しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。5あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。6ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。7眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
【ポイント】
①「目をさまして、慎み深くしていましょう」
月曜日のポイントと同じですね。私たちに与えられているキリストの再臨、終末への備えは、主がいつ来られてもよいように日々日々主から与えられている使命に忠実に歩み続けることです。そして、そのタイミングやその時に何が起こるのかについては、私たちが色々詮索する必要はなく、主にお任せしておくことも大切です。
パウロの手紙の後半は具体的なライフスタイル、倫理的な教えが記されています。この1テサロニケもそうです。それらの教えは、この世で幸せにクラスための教えではなく、キリストの再臨を迎えるための具体的な教えだと取ると、神様の意図をより明確に理解できると思います。
②あなたは大丈夫ですか?
今日、キリストの再臨が起きたとしたら、あなたはどうしますか。イエス様からイエス様の弟子として、イエス様から与えられている使命に忠実に取り組んでいる姿を見てもらえるでしょうか。昨日問題にした事件に関わっていると思われる牧師の信仰、神学、聖書の適応はまったくのデタラメです。その行動内容から倣うべきことは何一つありません。しかし、彼は自分が与えられていると信じている使命を具体的な行動に移していました。この点については、私たちは自らを省みる必要があるのではないでしょうか。私たちが、この事件から学ぶことは、聖書的であり続けることの大切さだけではありません。もし、彼が間違っていると思うのであれば、私たちは自分たちが正しいと考える御国の拡大の働きを行っている必要があるのです。私たちクリスチャンが自宅のソファーに寝っ転がり、ポテトチップスをかじりながら、傍観者的な立場からテレビのニュースを見て、この牧師を批判するような姿勢は、何の問題の解決にもならないのです。
キリストの再来の時、傍観者は一人もいなくなります。すべての人は当事者として、主の与えられた使命に対して忠実であったかどうかを説明する時が来るのです。どのように大きな教会のメンバーであろうが、小さな教会のメンバーであろうが関係ありません。私たち一人ひとりが主の命令、使命に対して忠実に手を動かし続けることが「目をさまして、慎み深くしていましょう」ことになるのです。具体的な歩みについては11節以降で学びます。
【今週の礼拝での聖句】
中心聖句:ヨハネの福音書16章8、13節
8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
先週は、ペンテコステの出来事は、弟子たちだけでなくその場にいたすべての人が弟子たちに聖霊が与えられることを目撃したことにあったこと、さらにそれはイエス様の約束が間違いなく成就したことを弟子たちが確信したこと学びました。
聖霊の働きが異言、預言、癒し、悪例払い、突然のひらめき(啓示)、予期しない出会いなどばかりを想像する人が多いかもしれません。もちろん、それらすべてを弟子たちも経験していることは確かです。しかし、ペンテコステの本当の重要性がそのような特別な出来事にあるのではないことは、使徒の働きのペンテコステの記事を読めば明らかです。イエス様は聖霊が与えられる前のこのように約束されました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)
そして、ペンテコステの日にそれが起こるのです。つまり、「聖霊が与えられる」→「主をあかしする」というイエス様の約束と命令の通りのことが起きたのです。実は、この約束は使徒の働きだけでなく、今日のヨハネ16章にもはっきりと記されているので、しっかりと学んでみましょう。(礼拝では用いなかった聖書箇所も加えてあります。)
①聖霊は私たちに罪を認めさせる
聖霊の力をもってキリストを証しすると人々は罪を認め、悔い改めに導かれます。
ヨハネ16: 8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
使徒 2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
②聖霊はイエスの義を明らかにする。
聖霊の力をもてキリストを証しすると、キリストの義が明らかにされます。
マルコ15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった」と言った。
③聖霊は裁きについて明らかにされる
聖霊の力をもってキリストを証しすると、さばきの恐ろしさが明らかにされます。
ガラテヤ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
④聖霊は私たちを真理に導き入れる
聖霊の力をもって証しすると、人々は真理を悟ることができる
つまり、①~③にあるように、イエスが間違いなくキリストであること、つまり「「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」という確信に導かれるのです。
聖霊の力強い働きを体験したいというクリスチャンはたくさんいることでしょう。その一番の方法は「キリストを証し」することです。聖霊はそのための力なのです。「主よ聖霊で満たして下さい。あなたの聖霊を体験したいのです!」と祈った時に、主から「どうして?」と聞かれたらどのように答えますか?私たちはこの質問にはっきりと答える必要があるのです。キリストを信じる者すべてに聖霊は与えられています。しかし、聖霊がなぜ与えられているのか、神様がなぜ聖霊を持って私たちに力をあたえらえるのかをはっきりと理解しましょう!
ライフチャーチ牧師
大谷 信道