デイリーディボーション 7月15日(土)

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デイリーディボーション 7月15日(土)

2017年7月15日(土)

【通読】
マタイの福音書 12:15-21
15イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると多くの人がついて来たので、彼らをみないやし、16そして、ご自分のことを人々に知らせないようにと、彼らを戒められた。17これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。18「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。19争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。20彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。21異邦人は彼の名に望みをかける。」

【ポイント】
①伝道の障壁は「誤認」
直前の14節に「パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。」と記されていました。彼らのイエス様に対する殺意がより鮮明になってきたことが分かります。しかし、ヨハネの福音書の11章を読むとより明らかなのですが、祭司、パリサイ人や律法学者たちがイエス様を殺そうと考えた原因は、イエス様をローマ帝国に対する反乱を画策する、政治的や改革者であると勘違いしていたことにあります。しかし、それは完全な誤解だったのです。

また多くの人々が群衆となりイエス様のところに集まってきたために、パリサイ人達が困惑したわけですが、これも人々の誤認によるものです。つまり、人々は、イエス様を「病気をいやす方」だと思い、いやしてもらうために集まってきたのです。15節には、憐れみ深いイエス様は、人々の願いに応じ、その全員をいやされたと記録されています。しかし、イエス様のいやしについて、人々に知らせないように戒められたとも書かれています。イエス様は病気をいやす方」というご自分についての間違った(偏った)認識が広まることを嫌がられたのです。

ですから、マタイは自分の福音書でこれらの誤認、誤解を解くために、イザヤ書の預言を引用し、イエス様は政治的、武力的な指導者(メシア)でも、ただ病をいやす働きをする者でもなく、異邦人にまで福音を伝える、柔和で平和を作り出すメシアであることを明確にしたのです。

あなたのイエス様が何者であるのか正しく認識しているでしょうか。また、その認識とイエス様に対する態度、関わり方は一致しているでしょうか。もちろんイエス様は私たちの「友」であると言ってくださっています。しかし、それはイエス様についての一つの側面です。イエス様は私たちの友でありながら、同時に、「20神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。22また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」という方であることを忘れてはならないのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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