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2017年7月21日(金)
【通読】
マタイの福音書 12:46-50
46イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。47すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」48しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」49それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。50天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
【ポイント】
①最も重要な関係は?
イエス様は「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」(出エジプト20:12)という十戒を更新され、ご自分の戒めとされています。使徒パウロもエペソ人への手紙6章で、「1子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。2『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
3『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする』という約束です。」とこの戒めの重要さを確認しています。ですので、イエス様がご自分の母親や兄弟を冷たくあしらっているような印象を持ってしまった人がいるかもしれませんが、決してそうではないのです。イエス様は、この戒めを大切にされた上で、さらに重要な事柄を教えられているのです。
今日の箇所で注目すべきポイントは、イエス様がイエス様を信じる者を「母」「兄弟」「姉妹」と認識されていることです。私たちの肉親としての父、母、兄弟、姉妹は私たちの事を愛し、支えてくれています。しかし、彼らがどれだけ私たち愛してくれていても、私たちの身代わりとして死んでくれることも、私たちの死後の人生について責任を持つことはできません。しかし、メシアであるイエス様が私たちを「母」「兄弟」「姉妹」と読んでくださっているのは、単なる親しみからの表現ではなく、私たちの地上、天上での人生について最後まで責任を持つという宣言、ご自分がそのような力を持っているという宣言でもあるのです。
自分が地上での人生を全うする瞬間を想像してみましょう。愛する家族に看取られて息を引き取ることができれば、それは幸せなことです。それが叶わない人もたくさんいることでしょう。しかし、私たちの家族は私たちをどのように愛していても、私たちの死を看取ることしかできません。私たちが人生の中で体験する、最も孤独な瞬間は肉体の死でしょう。しかし、イエス様は、死の間際も、そして死の瞬間も、そして死の後も、私たちの兄弟として共にいて下さるのです。それが、イエス様が私たちを兄弟と呼んで下さる意味なのです。
ライフチャーチ
大谷信道