デイリーディボーション 7月24日(月)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 7月24日(月)

2017年7月24日(月)

【通読】
マタイの福音書 13:19
19御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。

【ポイント】
①種蒔きのたとえを真剣に聞く
イエス様の種蒔きのたとえは、現代のクリスチャンにとって極めて重要な教えであると思います。なぜなら、私たちは経験として、教会、日曜学校、バイブルスタディーに通っていた人が、来なくなってしまうというケースを少なからず見ているからです。もちろん、教会の側に問題があるために、通うことをやめてしまうことはあるでしょう。しかし、どこの教会にも行かなくなってしまう人、ディボーションや祈りといった神様との交わりの時間を持たなくなってしまうひとも少なくないのです。「それでも、その人の内には信仰が残っているはず。」と信じていたい気持ちがある一方、イエス様のみことばを学べば学ぶほど、教会の群れから離れること、みことばを聞かなくなるという人生の方向性は、イエス様を愛するという方向の真逆を向いていることが分かってくるはずです。「教会も行かないし、聖書も読んでないけど、自分はイエス様を愛してるよ」と言う人がいるかもしれませんが、それは「家にも帰らないし、連絡も取らないけど、自分は妻(夫)も子ども愛しているよ」と言っているのと同じです。明らかに自分の言葉(気持ち)と行動(現実)に矛盾が生じていることを知る必要があります。

②自分の土地がどうなっているのを確かめる
イエス様のみことばの種のために「良い地」を耕そうとしない人は、残念ながら豊かな実りを期待することはできません。このたとえ話から、自分の「心の地」がよく耕されている「良い地」になっているのか、そうでないのかを確認してみましょう。

③種を捲人を愛しているのであれば
みことばの種を蒔いているのは誰でもなく、イエス様です。土地を耕すのか、放置しておくのかは、あなたのイエス様に対する愛によって決まります。イエス様への愛ゆえに、土地を耕し「良い地」を用意した人は、豊かな実りを期待できるのです。

明日以降、イエス様のために土地を耕さずに放置してしまっている人の例を学んでいきます。

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info