デイリーディボーション 7月25日(火)

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デイリーディボーション 7月25日(火)

2017年7月25日(火)

【通読】
マタイの福音書 13:19-21
19御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。20また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。21しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

【ポイント】
①みことばを聞いても悟らない
このイエス様のことばは、「誰でも福音を真剣に聞けば、イエス様が救い主であるという合理的な結論を下すことができる。」という前提で語られています。中には、この前提自体を拒絶してしまう人もいることでしょう。しかし、イエス様の福音は「特定の動物を神と信じなさい」とか「本当にあったかどうだか分からない神話を信じなさい」と言うようなものではありません。イエス様の贖い、救いはきちんとした論理性をもったメッセージなのです。ですから、イエス様の福音を聞きながら、その内容について真剣に考えることもせず、放置しておけば、人々はすぐに忘れてしまうのです。当然、そこには救いはありません。

②すぐに喜んで受け入れるが、すぐにつまずく
「天国に行きたい」、「罪を赦して欲しい」という欲求を持っている人は少なくありません。自分の欲求を満たしてくれる存在としてイエス様を信じている人は、その欲求が満たされれば満足してしまいます。しかし、イエス様との愛の関係に根ざして(コロサイ3:17)いないので、自分にとって不都合なこと、面倒臭いこと、嫌なことが起きると、イエス様から離れてしまうのです。

③イエス様との愛の関係がすべて
イエス様の十字架での苦しみ、そこに表された愛について聞きながら、福音を聞くだけで放置してしまう人、天国行きのチケットのためだけにイエス様に近づき、また去っていく人がいます。そのような人々に対するイエス様の悲しみを想像してみましょう。種蒔きのたとえの本当のポイントはそこにあります。「良い地」とは、イエス様の愛について聞き開かれた心、イエス様の愛によって耕された心なのです。イエス様との愛の関係がなければ、いくら聖書を聞いても、学んでも、儀式としてバプテスマを受けたとしてもそこに福音、救いの実が結ぶことはないのです。

しかし、「わたしは聖書を全部読んだわけでも、理解したわけでもありません。しかし、イエス様がわたしの罪の身代わりとして死んでくださったことだけは理解しました。そこまでわたしを愛してくださった方を、わたしは愛し、一生従っていきます!」という決心をした人は、豊かな実を結ぶのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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