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2017年7月29日(土)
【通読】
マタイの福音書 13:31-32
31イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、32どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
【ポイント】
①難しく考えすぎてはならない
すべては、イエス・キリストが自分の罪の報酬である「死」からの救い主であること、身代わりとして罰を受けてくださるほど私たちを愛してくださっている方であることを信じ、その愛に応えることから始まります。このように「キリストを信仰すること」とは「キリストを愛すること」なのです。
「信仰」が「愛」であるのであれば、その「愛」が最初から大きなものであるはずがありません。夫婦、親子の愛を考えてみて下さい。お互いの愛が最大になってから結婚する人がいるでしょうか。お腹に命が与えられた瞬間から、子どもに対する愛がレベルになっている親がいるでしょうか。そのような事はないのです。愛は私たちの相手を愛するという決意によって始まり、最初は小さなものかもしれませんが、関係を深めていく中で大きなものになっていくのです。
ですから、私たちに求められているのは、キリストを愛する決意なのです。それは、最初「からし種」のように小さなものに感じるかもしれませんが、キリストとの関係を深めていく中で、キリストの愛がとてつもなく大きなものである事を知るようになり、私たちのキリストに対する愛も大きくされていくのです。
エペソ3章17-19節
「17こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」
ライフチャーチ
大谷信道