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2017年7月3日(月)
【通読】
マタイの福音書 10:32-33
32人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。33しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
【ポイント】
①イエス様が求められている関係を知る
イエス様は弟子たち(わたしたち)に、たとえ迫害にあっても、自分がイエス様の弟子であることを証しし続けることを求められています。
②難しく考えない
「踏み絵」などの迫害の現実を知っている私たちは、自分が最後までイエス様への信仰を認め続けることができるのか不安になります。まして、「お前がクリスチャンであれば、お前だけでなく、お前の家族にも害がおよぶことになるぞ!」などと脅されたらどうすれば良いのか分からなくなりそうです。そこで、重要なことは19-20節のイエス様のことばを信じることです。「19人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。20というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。」
私たちにできることは、最後まで私たちを愛し守り続けてくださるイエス様を信頼し続けること、そのイエス様に従い続けることを決意することです。ご存知のように、ペテロはイエス様を知らないと3度も言ってしまいました。しかし、ペテロがイエス様のために命まで捨てる覚悟をしていたことは紛れもない事実であり、いい加減な思いから「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22:33)と告白したのではありません。ペテロは恐怖のあまりイエス様のことを知らないと言ってしまいましたが、イエス様はペテロのイエス様に対する純粋な愛をご存知だったのです。ですから、イエス様はペテロを赦され、弟子として愛し、用い続けられたのです。
ライフチャーチ
大谷信道