誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2015年7月4日(土)
【通読】
2テサロニケ 3:9-12
9それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。10私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。11ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。12こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。
【ポイント】
①愛ゆえの優しさと厳しさを実践する(その2)
昨日の続きです。ここで問題を指摘されている人たちは、恐らく働くことができる環境にありながら、教会内で助け(食事の提供等)を受け、働こうとしない人たちです。ただ、ここでの問題は、単に仕事をしないということだけでなく、「おせっかいばかり」、つまり互いに徳を高め合う事以外の余計なことがらに時間とエネルギーを費やしていたことにあるのでしょう。もし、彼らが教会、そのメンバーのために仕える働きを行っていたとしたら、パウロからこのような指摘を受けることはなかったことでしょう。
ここから見えるテサロニケ教会の課題、そして現代の私たちの教会に当てはめることができることは何でしょうか。一つ目は、教会内の問題について、教会が一つになって取り組む必要があるということです。昨日も学びましたが、特に、牧師を始め、リーダーがその役割から逃げないということです。私たちは、問題を指摘するときに、相手が怒ってしまったり、へそを曲げてしまったりしないかと恐れを覚えるものです。ですから、問題を先送りにしてしまうことがよくあるのです。結果としてそのほうが良い場合もあるのですが、テサロニケの教会の場合、問題の解決が遅れてしまったのではないでしょうか。結局、パウロに、ある意味、嫌な仕事を押し付けてしまったわけです。
2つ目の大切なポイントは、それでも自分たちの手に負えないと感じた時は、信頼できる外部の人に助言を求めることです。実は、これをしなかったために、教会内の問題が大変大きなものに発展してしまった例を、これまでいくつも見てきました。日本人は外部の人に自分たちの問題を見られること、恥をさらすことに抵抗を覚える人が多いような気がします。しかし、アジアの教会は、教会外の協力者として使徒パウロに助けを求め、彼も多くの教会と熱心に関わり、手紙を書きました。現代おいても、このような形が重要なのです。ライフチャーチも、多くの教会、牧師からの励まし、祈り、助言が与えられ、歩みを続けることができていることに感謝します。今年度からは、特に青梅あけぼの教会との関わりの中で、様々な学びや励ましを受けていくことができればと願っています。
【今週のメッセージ】
「みことばを上手に実践する」
ヤコブ2:14-17
14私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。15もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに16あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。17それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
みことばの実践の最高の場所は「日曜日の礼拝」と「スモールグループ」です。
そして、実践すベき、みことばイエス様が要約してくださっています。
マタイ22:37-40
37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 38これがたいせつな第一の戒めです。 39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
「神を愛する」ことの第一歩は、神様への愛を表現することです。つまり、神様をほめたたえることです。大好きな人の名前を呼びたくなるはごく自然なことです。神様の名を呼ぶのもそれと同じで、とても自然なことなのです。その行為は「礼拝」と呼ばれます。礼拝は儀式ではありません。私たちが神様の愛に動かされ、主の名を呼び、ほめことば、感謝を口にすることが礼拝の本質なのです。その最高の実践の場の一つが日曜日の礼拝なのです。
「互いに愛し合う」ことの第一歩は、愛し合うべき人と時間を共有することです。そこで、互いに語り合い、聴き合い、祈り合うことが大切なのです。その最高の場所がスモールグループです。ただ、このグループは友だちとの集まりと大きく違う点があります。それは、キリストを愛する者の集まりであるということです。ですから、その中心はキリストであり、キリストのことばとなるのです。一人ひとりが、キリストのみことばに忠実に従うことができているのか、確認する場であり、互いに励まし合う場所でもあるのです。
さらに、スモールグループの中での「みことばの分かち合い」は、日曜日のメッセージやディボーションで与えられている聖書の箇所を日々の生活に当てはめ、実践していく上でも重要なものとなります。メッセージを聞いて、頭で理解したり、感激して終わってしまう人が多くいます。私もかつてはそうでした。しかし、下手をすると次の日には、その週のみことばどの箇所であったかも忘れてしまっているのです。これでは、ヤコブ1章22節にある「ただ聞くだけの者」となってしまいます。そして、今週の箇所にある通り、聞くだけでは私たちの信仰を死んだものになってしまうのです。
今週のメッセージの具体的な適用は何でしょうか。まず、みことばの実践の最高の場であるライフグループを大切にすることです。互いに根気強く誘い合い、ライフグループをより良い分ち合い、成長の場所として整えていきましょう。まだ、ライフグループに参加していない人は、参加を考えてみましょう。スケジュールや場所の都合で既存のグループに参加できない人は、新しいグループを始めることをおすすめします。毎週集まることが理想的ですが、まずは月一回からでも集まってみましょう。
さらに、スモールグループの持ち方について学んでみましょう。自己流に陥らないためには、体系的な学びが大切です。ライフチャーチではスティーブ
グレイデン著「健康なスモールグループが教会を育てる」というテキストをベースにリーダーを中心に学びを進めていく予定です。リーダー以外でも興味がある方は、本を購入してみることをお勧めします。聖書的でバランスの良いスモールグループの姿をイメージできるようになると思います。
ライフチャーチ 牧師
大谷 信道