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2017年7月5日(水)
【通読】
マタイの福音書 10:34-39
40あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。41預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。42わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」
【ポイント】
①私たちはイエス様の使節
今日の箇所でイエス様は、私たちを受け入れる人は、イエス様を受け入れることだと教えられています。その理由は、私たちがイエス様から選ばれ、イエス様の計画の実現のために、イエス様によって送り出された「使節」だからです。私たちはこの事実を忘れてはなりません。
私たちが、イエス様から与えられている使命を全うしようと思うとき、その権限はイエス様から与えられていることを思い出しましょう。例えば、警察官は、警察官として与えられている権限に基づき必要な仕事をしていることを示すために警察手帳を提示したりします。それは、捜査、逮捕などという仕事を個人的な正義感から行っているのではなく、国から送られてきたも者であることを証明することでもあります。イエス様の弟子である私たちも同じです。私たちがイエス様から与えられた使命を全うしようと思うとき、私たちは個人的な思い、個人的な満足のために動いているのではありません。あくまでも、イエス様から派遣された者として、イエス様からいただいた権限により、イエス様のために働くのです。
ですから、イエス様から与えられる使命を全うしようと思うときに迫害を受ければ、それは自分に対する個人的な攻撃ではなく、イエス様、神様に対する攻撃であると受け取りましょう。同じように、自分たちの働きを助けてくれる人がいれば、それは私たちに対する個人的な協力ではなく、イエス様、神様に対する協力であると、神様は見ておられるのです。
私たちは、個人的な正義感、個人的な満足のためにミニストリーを行っているのではありません。また、人の喜びのため、人の満足のためにミニストリーを行っているのではありません。私たちはイエス様の使節として、神様のため、神様の喜びのために与えられた働きを全うしていくのです。ですから、ミニストリーの成功、失敗に一喜一憂する必要はないのです。私たちに協力してくれる人に報いてくださる方は、一時的な成功や失敗ではなく、神様のために人生をささげる私たちの信仰に祝福をもって応えてくださる方なのです。
ライフチャーチ
大谷信道