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2015年7月6日(月)
【通読】
2テサロニケ 3:14-15
14もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。15しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。
【ポイント】
①愛ゆえの優しさと厳しさを実践する(その3)
イエス・キリストを信じるとは、イエスを自分自身を含む全被造物の王、支配者として受け入れることです。イエス・キリストを王として認め、服従を決意した人は誰であっても、どのように大きな罪を犯した者であっても、キリストが愛によって支配される国で生きることが許されるのです。そして、キリストの支配を受け入れるとは、当然のことながら、その戒め(ルール)を守ることを約束することでもあります。そのルールとは次の通りです。「34あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 」(ヨハネ13:34)
「教会」とは、キリストを信じる者の集まりです。キリストの支配を受け入れた者の集まりであり、キリストの定められたルールを聞き、そのルールに従うことを約束した者の群れなのです。別の言い方をすれば、教会とはキリストを信じ、互いに愛し合うという約束によって成り立っている集まりなのです。ですから、このルールの従う覚悟のない人は、教会の交わりの中に入ることができないのは当然なのです。ですから、パウロはキリストのルール、指示に従わない人には「特に注意を払い、交際しないようにしなさい」と教えているのです。
愛し合うとは、相手の「罪を赦す」ことであって、「罪を許す」ことではないからです。この両者の違いを今日の聖書箇所からはっきりと知ることができます。パウロがテサロニケの教会、そして私たちの教会に求めていることは、罪を犯している人を許し、罪を見逃すことではなく、その人がルールを破っていることを指摘し、必要があれば教会の出入りも禁止するぐらい厳しく対応することであり、しかし、その人を敵として排除するのではなく、続けてルールを守っていくように赦し続け、関わり続けることなのです。
【今週のメッセージ】
「共感を学び実践する」
ローマ人への手紙 12章15節
「 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」
私たちは、自分の気持ちを理解してもらえないと感じるときに、大きなストレスを覚えるものです。特に、大変辛い経験をした時に、自分の苦しみは誰にも理解できないと感じることがあり、それが苦しみや孤独感をより大きなものにしてしまいます。あなたは、どうでしょうか。ちょっと考えてみましょう。
Q.あなたは、自分の悩みや苦しみが十分に理解されているという実感がありますか?
Q.あなたのイライラの原因は、周りの人が自分の苦しみを理解してくれていないことにありませんか?
Q.もし、自分の思いを本当に理解してくれる人がいたとしたら、あなたの気持ちはどのように変わるでしょうか?
目の前の状況やストレスの原因が変わらないとしても、自分の悩み苦しみを理解してくれる人がいれば、非常に気持ちが楽になるのではないでしょうか。 そこで、今日の一番目のポイントです。
①相手(自分)が求めているのは「共感」であることを知る。
今、確認したように、相手(自分)が社会の中で感じているストレス、イライラの原因の多くは、自分の悩み、苦しみ、努力などが周りから理解されていないという欲求不満なのです。自分に対して辛く当たってくる人(夫、妻、子ども、同僚、上司)は自分を嫌っているのではなく、「もっと自分のことを分かってよ!」という心の奥底の思いをぶつけている可能性があるということです。つまり、相手が自分の気持ちを理解し、その気持を共有してくれること、「共感」を求めているのです。相手があなたを嫌っているのではなく、駄々っ子のように「自分のことをわかってよ!」「もっと自分のことを見てよ!」というサインを出しているのではないかという、全く別の視点から相手を見ることができるのです。
神様は、その人間の心をよく知っておられます。ですから、神様はご自身が私たちを「共感」してくださっていること、私たちの悩み苦しみを本当に理解してくださっていることがはっきりと分かるようにご自身を表してくださっています。
②神様が自分に「共感」してくださっていることを信じる
ヘブル書2:18
「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」
ヘブル書 4:15
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」 マタイ 6: 8
「だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」
神様は私たちが「共感」を求め、「共感」を得るときに、相手の愛を感じることができる者として人間をデザインされたのです。ですから、私たちはまず、神様が「共感」してくださっていることを知り、喜び、そこから互いに愛し合うためには、「共感」し合っていくことが大切であると知ることができるのです。ですから・・・
③「共感」を実践する
ローマ12:15
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」
「共感」の具体的な姿は、このパウロのことばの通りです。もし、私たちが相手の気持ちを理解し、さらに、その気持を自分の気持ちとして共有するときに、「共に喜び、共に泣く」ということが起きるのです。しかし、実際には私たちは、このことばを上手に実践できていないのではないでしょうか。相手の悩みを聞いたときに、共感とは別のことをしてしまうことが多くあるからです。そこで、共感のためにヒントを確認しておきましょう。「今、会社が大変でさー・・・」などという悩みを聞いた時、あなたはまず最初にどのように応答しますか?「共感」とは相手の気持ちを理解し、その気持を共有することですから、第一声の例としては「そうなんだ~、嫌になっちゃったんだー。」といような言葉になるでしょう。しかし、私たちは自分なりの一生懸命さから、別の反応をしてしまうことが多いのです。
・相手の評価 「それでも、がんばってるじゃない!」
・説得 「おれも同じだよ、でも腐ったらダメだよ!」
・助言や指示 「もっと上司と話し合うべきだよ!」
・励ます 「大丈夫、なんとかなるよ!」「頑張るしかないよ!」
これらが、正論、正解、適切な助言であったとしても、この瞬間の相手のための援助にはならないのです。恐らく、相手はあなたの助言、指示などについては、あなたの話を聞く前から、知っていることだったでしょう。しかし、それを実践できず、問題を解決できないでいるから悩んでいるのです。ですから、その瞬間に大切なことは、この瞬間に相手が求めていることは、「共感」してもらうことなのです。それが自分の問題であろうが、相手の問題であろうが、今自分が苦しんでいること、悩んでいる気持ちを聞いてもらい、理解してもらいたいだけなのです。
このような、コミュニケーションの基本を知らない、牧師、医師、教師、経営者、リーダーがたくさんいます。このように話している私も、失敗ばかりです。ですから、ライフチャーチにおいては「共感」について、皆で学び、皆で取り組み、特にライフグループを「共感」のコミュニティーとして作り上げて行こうではありませんか!そして、共に喜び、共に泣く関わりを続けていきましょう!
ライフチャーチ牧師
大谷 信道