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2023年8月1日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 15章8-13節 8私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは父祖たちに与えられた約束を保証するためであり、9また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」10また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」11さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」12さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」13どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
①ユダヤ人と異邦人の和解からもろもろの国民の和解へ 新型コロナウイルスに感染してしまい、体調を崩していたため、しばらく中断しておりましたが、本日からデイリーディボーションを再開いたします。
パウロは、当時のユダヤ人たちが良く理解できる世に「割礼のある者(ユダヤ人)」とか「異邦人」という、ユダヤ人の宗教観(世界観、人種観)に合わせた説明をしています。しかし、「ユダヤ人」「異邦人」という区別、色眼鏡で人々のを見る世界観や人種観は、イエス様が完全に廃止されました。実際パウロもコロサイ3章11節で「11そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」と宣言しています。
イエス様が明らかにされたこの真理は、過去のクリスチャンたちは頭で理解をしてきたかもしれませんが、地上での人々の分断(国、民族、言語など)という現実の中で、主にある、信仰による一致と和解を疎かにしてきたという事実があります。例えば、アメリカにおいては、白人系の教会、アフリカ系アメリカ人の教会などという分断が当然のこととしてクリスチャンに受け入れられていました。現代では、主にある融和を大切にしている教会が増えていますが、依然として分断が残っているようです。この状況を正当化する理由がたくさんあるのでしょうが、神様がこの分断を喜ばれているのかを、一人ひとりのクリスチャンが考える必要があると思います。
教会はキリストのからだです。パウロの手紙を読めば、そのからだがキリストの御心に沿った、健全で健康なものとなることが神様の御心であることが明らかです。ですから、自分が属しているキリストのからだである教会が、主の愛による和解(相互愛、互いに赦し合うこと)に熱心に取り組んでいるのか、それとも、それとは全然関係ないことに熱心に取り組んでいるのかをしっかりと見なければなりません。そして、主にある一致に熱心でない教会は、たとえ人数がたくさんいても、たとえ建物が素晴らしくても、たとえ賛美の質が高くても、たとえ多くのミニストリー・活動が行われていたとしても、不健全、不健康な状況に陥っていることに気が付かなければならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道