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2023年8月17日(木)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 16章1-4節 1ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。2どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。3キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。4この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
①教会形成のためのネットワークと協力 ローマ人への手紙の16章がパウロ自身によって書かれた(語られた)ものではなく、エペソの教会に送られた手紙の一部であったと考える学者がいます。しかし、その議論は決着していないため、ここでは16章もパウロによるものであるという前提で見ていきます。
16章がローマ人への手紙の一部であったか否かとは関係なく、ここでは当時のクリスチャンたちのネットワークと協力の姿を見ることができます。そのネットワークと協力の目的は教会形成です。
実はこの視点が現代の諸教派、宣教団体に欠けているケースを見ます。例えば、ライフチャーチと関係の深い米国の南部バプテスト宣教団などがそうです。戦後から70年代にかけて、南部バプテスト宣教団の協力により、日本では多くの教会が開拓されました。しかし、日本の経済発展に伴い、日本の土地や物の価格が上昇したため、宣教団の予算で土地や建物を購入することが難しくなったのだと思われます。現在、日本国内での南部バプテスト宣教団の協力による開拓伝道の話はわたしたちライフチャーチの開拓以降ほとんど聞きません。
そこには、金銭的な問題以外の重大な問題があると考えています。それは、南部バプテスト宣教団が「伝道」について大きな勘違いをしているということです。彼らの多くは、個人的にイエス様の福音を伝えること、信仰決心に導くことには熱心ですが、イエス様を信じた人々がキリストのからだである教会を形成していくことが「伝道」の一部であるという認識がないのです。「救われた人々は、どこかの教会につながればよい」という程度の認識の宣教師が多いのです。
しかし、使徒パウロはそのようには考えていなかったことが分かります。もちろんパウロはイエス様の福音を伝えることに熱心だったわけですが、彼の手紙を見たら明らかですが、救われた人々が教会(群れ)を形成し、健康なキリストのからだとして成長していくことにも熱心だったのです。ですから、パウロにとっての伝道とは、福音宣教&教会形成が一体となったものであり、それらを切り離して考えることはなかったということです。そうでなければ、各教会に手紙を書く必要などなかったわけです。
最近の言葉を用いれば、パウロの伝道は「持続可能性」のある伝道なのです。教会が形成されなければ、どれほど宣教師が熱心に伝道したとしても、数人(数十人)の人がイエス様を信じる決心をして終わりなのです。その地域で一人でもイエス様を信じることになれば、素晴らしいことなのです。しかし、それは干ばつの酷い地域に飲料水のボトルを配るようなものなのです。飲んでしまえば終わりなのです。本当に必要なのは井戸を掘り持続的に飲み水を確保することです。また、その地域の住民が井戸の掘り方を覚えれば、外からの援助がなくても、持続的にが飲料水を得ることができる地域が増えるのです。
16章を読んでも、パウロ達が持続可能な福音宣教を行っていたことが分かりますね。日本においても、この当たり前とも言える福音宣教の形を実践していくことが求められているのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道