デイリーディボーション 8月25日(水)

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デイリーディボーション 8月25日(水)

2021年8月25日(水)
マタイの福音書 8:28-29 28それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。29すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
【ポイント】 ①弟子を育てられるイエス様 「自分に得となる教えや祝福を得よう」という、一見信仰的に見えけれど実は肉的な欲望以外の何ものでもない感覚を捨て去ると、福音書は非常にシンプルに見えてくると思います。なぜなら、著者が伝えようとしている事だけに集中できるからです。マタイは今日の個所で何を伝えたいと思ったのでしょうか。なぜ彼はこのエピソードを自身の福音書に入れたいと思ったのでしょうか。
イエス様たちは舟で「向こう岸」まで来ました。それは、イエス様の弟子の中でも中心的(献身的)な人々だけとガダラの地に到着されたことを示唆しています。イエス様が人々が弟子として従うことを許された理由は、その後の弟子たちの活躍を見れば分かることですが、弟子を育て、福音を委ねるためです。と言うことは、弟子を育てる作業の中心は、まず弟子たちに福音を正確に伝えることです。そして、その福音の中心とはイエス様が神の御子(神様ご自身)であるということです。口で「私は神の御子である」ということは誰でもができることですから、イエス様は明確な証拠を提示する必要があったわけです。また、多くのユダヤ人の前でご自分が神の御子であると宣言されたり、証明したとしたら、大きな混乱が生じることは明白でしたから、ユダヤ人(特に律法学者やパリサイ人)のいない、ガダラの地に来られたのでしょう。ここが、弟子たちへのレッスンの絶好の場所だったのです。
イエス様が、弟子たちに聞かせられたのは、悪霊につかれた人たちの言葉でした。それは、彼らの「神の子よ」という叫びでした。悪霊につかれた人の言葉だから真に受けてはならないと考える人もいると思いますが、一方で、悪霊につかれているが故に見えている霊的な現実があると考えることもできるのではないかと思います。ヨハネ8章44節に悪魔は「偽り者」であると記されてはいますが、ここでは悪霊につかれている者(悪魔)たちが、「嘘」や「偽り」を語る理由が見当たりません。単純に見たままを語っていると考えるのが適当だと思います。ですから、彼らの「神の子」というイエス様の呼び名は、真実なものであっということです。
これを聞いた弟子たちは、大変驚いたことでしょう。「本当?」と、疑いを覚えた弟子もいたことでしょう。しかし、イエス様はこの後に続く出来事で、ご自分が「神の子」であることの証拠を弟子たちに見せられるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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