デイリーディボーション 1月10日(水)

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デイリーディボーション 1月10日(水)

2024年1月10日(水)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 6:1-7 1あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。2あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。3私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。4それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。5私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。6それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。7そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。
【ポイント】 ①教会とは何かを考えると・・・ 今日の箇所でパウロはコリント教会内のメンバー同士のいざこざを、教会の中で和解させるなどして解決することができず、教会外で裁判沙汰にまで発展してしまっているという事実を問題視しています。
それでは、パウロは教会の中ではどのような対応ができると考えているのでしょうか。これまでの個所にはっきりと記されていましたね。 1.「兄弟の間の争いを仲裁する」(6:5) 2.「外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。」(5:13)
マタイの福音書18章にも、教会内の問題の解決について具体的に記されています。 「15また、もし、あなたの兄弟が{あなたに対して}罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。16もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。17それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」
教会は「主を愛すること」「互いに愛し合うこと」(マタイ22:37-40)という、イエス様を愛し、イエス様の戒めを守ることを約束した人によって形作られるものです。残念ながら、頑としてこの約束を守らない人がいれば、それはイエス様の戒めを守らず、イエス様を愛さない者であると判断せざるを得ません。(ヨハネ15:10)
教会は単なる人の集まりではありません。どれほど熱心に祝福、癒し、救いを求めていたとしても、その人がイエス様を愛する約束をし、イエス様の戒めを守る約束をしなければ、その人はイエス様とは全く無関係な人であり、イエス様を愛する者の群れである教会に加わることはできないのです。非常に厳しいことのように聞こえますが、それが真の意味での教会であり、キリストのからだなのです。
もちろん、教会の建物、教会の礼拝や交わりに、イエス様を愛する決意をしていない人が含まれていることは当然のことです。しかし、イエス様を愛し、戒めを守ることを意図的に拒否している人がいれば、そのような人にお引き取り願うことも考えなければならないのです。これをいい加減にしてしまうと、コリント教会のような問題が起きてしまうのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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