デイリーディボーション 1月12日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 1月12日(火)

2021年1月12日(火)
ペテロの手紙第一 4:10-11 10それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。11語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。
【ポイント】 ①「奉仕」の勧め 「奉仕」と聞くと、教会中での特定の働きを想像される方が多いのではないかと思います。一般的には、礼拝受付、賛美(奏楽、リード、聖歌隊)、聖書朗読、祈り、教会学校教師、食事準備、会堂清掃、音響・録画・照明・スライド係、週報・スライド作成、ホームページ管理などでしょうか。牧師、執事としての役割を担うことも重要な奉仕と言うことができるでしょう。これらの「奉仕」によって教会は神様から与えられた使命を全うして行くことができるわけです。
種類によっては「賜物」や特定の「知識」「技術」を必要とし、誰でも行えるわけではない奉仕が存在します。しかし、ペテロは「神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい」と教えています。つまり、それぞれが自分ができる働きを見出せばよいということです。大切なのは奉仕の種類ではなく「互いに仕え合うこと」だからです。教会の歩み、毎週の礼拝には「観客」「見学者」はいないということです。欧米などの大きな教会では奉仕の専門化が進み、礼拝があたかもプロの人たちが制作するテレビ番組やコンサートのようになっていることがあります。神様(人々?)に対してより良い礼拝をささげたいという熱心さの結果として、教会の中に多くの「観客」「見学者」を作り出すことになってしまっています。驚くほど洗練された礼拝をしている教会があったとしても、必ずしも聖書の命令に忠実な教会の姿ではない可能性があることを知らなくてはなりませんし、そのような姿を模範にする必要もないのです。
神様は私たち一人ひとりをご自身の計画の実現のための働き手として招いてくださっています。たとえ、自分として重要でないと思えるような奉仕であったとしても、その働きが「互いに仕え合う」という神様の命令と合致しているのであれば、それは他の奉仕と何も変わらない貴い働きなのです。
是非、自分にできそうな奉仕を探してみましょう。既存の奉仕内容以外に自分の仕えることができるものがあれば、牧師と相談しながら新しい働きを始めてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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