デイリーディボーション 1月12日(火)

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デイリーディボーション 1月12日(火)

2023年1月12日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 8章18-19節 18今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。19被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。20それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。
①クリスチャンの望みについて知る 私たちクリスチャンは地上での死を迎えるまでずっと「肉体」を持った者として生き続けます。私たちは、イエス様を信じる信仰(愛)ゆえに、罪が赦され、永遠のいのちの約束が与えられ、御霊によって新しく生まれた者としての歩みを始めたわけですが、それは「肉体(罪)」の性質を完全に捨て去ったわけではありません。つまり、肉体の死を迎えるまで、私たちは常に「肉の思い」を持ちながら生き、クリスチャンになった後も罪を犯し続けるということを意味しています。
残念ながら、多くのクリスチャンは、肉体と共に生きて行くことを罪の中に生きて行くことだという勘違いをし、肉の思い(罪の性質)が残っている自分をクリスチャン失格と裁いたり、肉の思いを完全に捨て去るために修行のようなライフスタイルを選んだり、中には、罪を犯さず生きているふりをしたりする人がいるようです。
しかし、そのようなクリスチャン生活は、イエス様が望まれているものではないことに気が付く必要があるのです。もちろん、イエス様に似た者に変えられて行くということは、罪を犯さない者へと変えられて行くことなのですが、自分の努力で罪の性質を完全に克服することができたとしたら、そもそも、イエス様が十字架にかかって死んでくださる必要が無かったことになります。クリスチャン(牧師)の中には、聖霊に満たされれば、肉の思い(罪の性質)を捨て去ることができると教える人がいるかもしれませんが、これまで出会ったクリスチャンの中で、そのような状態になっている人を、私は一人も見たことがありません。私たちクリスチャンは、霊的には罪が贖われ、新しいいのちが与えられた者とされていますが、依然として罪の性質を持ち、やがて朽ちていく肉体を持つという、ちょっと複雑な状態にあることを覚えておきましょう。
それでは、この複雑で、中途半端にも見える地上で肉体を持った状態の中で、どのように生きて行けばよいのでしょうか。それは、肉体の性質に完全に支配されるのではなく、イエス様の御霊の導きの中に生きて行くことです。これは、「0か100」のような感じではありません。肉体の性質ゆえに覚える様々な誘惑と戦いながら、時には勝ち、時には負けながら、しかし、イエス様を愛し、イエス様の導きを求めていくのです。ここに、魔法はありません。イエス様もゲッセマネの園で葛藤を覚えられたように、弱い私たちはさらに多くの葛藤を覚えながら歩んで行くのです。
イエス様の御霊の導きに従いたいと思っている人すべてのクリスチャンは、この葛藤の中に生きることになります。葛藤とは、心の中の戦いですから、辛さや苦しさが付きまといます。私たちの葛藤、または肉の思いとの戦いはいつ終わるのでしょうか。その点については、明日のみことばから学びましょう。
ライフチャーチ 大谷 信道


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