デイリーディボーション 1月12日(金)

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デイリーディボーション 1月12日(金)

2018年1月12日(金)

【通読】
ローマ人への手紙 3:21-24
21しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。22すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

【ポイント】
①「信仰による神の義」=「神様との愛の関係」
クリスチャンの方は「信仰による神の義」(22節)ということばに聞き慣れていると思いますが、本当にその意味を理解し、他の人に適切に説明できるようになっているでしょうか。

福音書を見ると「信仰」ということばは「愛」とほぼ同義語であることが分かります。天の父(イエス・キリスト)を「信じる」とは、天の父(イエス・キリスト)「愛する」ことだからです。1コリント13章13節の使徒パウロのことばを見てみましょう。「13こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」ここから分かることは、「愛」と「信仰」同義語といよりも、むしろ「愛」のほうが重要で、「愛」の中に「信仰」も含まれているような印象を受けます。実際、私たちが神様と顔と顔を合わせて会う時には、そこに見出すことができる関係は「信仰」ということばよりも「愛」ということばのほうが適切であると言えるでしょう。

さらに「神の義」ですが、これは神様の100%の正しさを、または私たちの神様に100%正しい者とされた状態を意味しています。このことばも「愛」によって説明できます。つまり、まず神様が私たちを愛し、イエス様の十字架によってその愛を証明されました。そして、その愛を知った私たちが神様の愛に応え、神様を愛することを決心する時に、神様と私たちの「相互愛」が実現します。この状態についてヨハネは「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)と説明しています。つまり、父と子の愛の関係が成立しているということです。愛の関係が成立しているという意味は、神様が私たちを100%受け入れてくださっているということです。ですから、「信仰による神の義」とは、神様との愛の関係によって私たちが100%受け入れられているという愛の関係を意味しているのです。

②愛の関係のない律法は無意味
ですから、神様との父と子の親密な愛の関係がない中で、いくら律法を守って生きたとしても、神様の目から見ればその行為は意味のない努力にすぎないのです。そもそも、人間の努力によって神様の前での100%の正しさを実現することは、罪深い人間にとっては不可能でもあります。

しかし、その逆はあり得るのです。つまり、神様の愛を知り、神様を愛する者となった人の「神様への愛の応答として律法を守りたい」という思いです。その目的は律法の行いによる神の義の獲得ではなく、神様への愛の応答だからです。ですから、ヨハネ14章でイエス様はこのように教えられたのです。「23だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。24わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。」

ライフチャーチ
大谷信道


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