デイリーディボーション 1月15日(月)

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デイリーディボーション 1月15日(月)

2018年1月15日(月)

【通読】
ローマ人への手紙 3:27-28
27それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。28人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

【ポイント】
①「信仰の原理」=「親子の愛」
イエス様はすべての創造主であり、唯一の神が「天の父」であると教えられました。この「天の父」という一言に福音のメッセージのすべて含まれていると言っても過言ではありません。神様のイメージから「天の父」が抜け落ちてしまえば、それは聖書が教えている真の神、唯一の神ではない、人間の勝手な想像から作り上げた偽物の神、偶像であると言うこともできるでしょう。ですから、神様は誰もが真の神様の姿を正確に理解することができるように、わざわざ「天の父」と「御子」という形でご自分の真の姿、つまり「愛」について明らかにされたのです。

それは、真の神様が求められているのは人間が何らかの宗教システムを構築することではなく、人間が神様の愛を知り、その愛に応答し、人間の親子に見ることができるような「愛の関係」を築くことなのです。理想的で純粋な親子の愛の関係は私たちの誰でもが容易に想像することができます。子が親の命令に従うという「行い」によるものではなく、何があっても最後の最後まで子を愛するという親の愛の決意によって親子の絆が保たれていることは誰でもが知っているのです。もちろん、人間の親は不完全ですから、自分の言いつけを守らないこどもを勘当し、親子の縁を切ってしまう事故中止的な親が存在することは事実です。しかし、私たちは純粋な愛を持ち合わせている親は決してそのようなことをしないことを知っています。私たちの想像しうる最も優れた、最も理想的な親のイメージは、聖書に啓示されている神様の姿とよく似ているのです。

この一点が理解できれば、「神様の子どもとなるため(神の義を獲得するために)に律法を守り続ける」という考え方が全くの見当違いであることが分かるでしょう。神様が私たちに求められていることは、律法を守ることではなく、天の父としての愛を知り、受け入れ、神様を天の父として愛することなのです。これが「信仰の原理」「愛の原理」なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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