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2023年1月15日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 8章24-25節 24私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。25もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。
①クリスチャンの望みについて知る その2 今日の個所は、文脈を無視して解釈されたり、説教やバイブルスタディーに引用されることが多いと思います。その理由は、これまで学んだように、パウロが思い描いている(定義している)「希望」が正しく理解されていないか、無視されていることです。しかし、ちょっと前を読めば、パウロが伝えようとしている「希望」が何であるのかは明らかです。再度整理してみましょう。
パウロは、イエス様を信じる者が、その信仰のゆえに、地上において「いろいろの苦しみ」を経験すると教えています。18節を見てみましょう。「18今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」その苦しみの霊(神様の御心)の導きと、肉の思いの間に起こる葛藤(戦い)です。つまり、私たちクリスチャンは神様の御心、御霊の導きに従って生きたいと思っているのに、つねに肉体に罪を犯したくなるという誘惑を覚え、その誘惑と戦い続けなければならないということなのです。この戦いについて、パウロは8章13節でこのように教えています。「13もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」この状態が「いろいろな苦しみ」を引き起こしているわけです。
ですから、パウロの「希望」とは、霊と肉との戦いから来る「いろいろな苦しみ」からの完全な解放なのです。22-23節で、次のように表現されていましたね。「22私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。23そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」
それでは、「私たちのからだの贖い」はいつ、どのように起こるのでしょうか?それは、イエス様の再臨のとき、または私たちの肉体の死の後です。ピリピ人への手紙3章20-21節を見てみましょう。「20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」
これが、私たちクリスチャンの「希望」なのです。私たちクリスチャンは、イエス様が再び来られ、「私たちの卑しいからだ」を贖われ、「栄光のからだ」に変えられるという約束に希望を置いているのです。そして、今日の個所にある通り、その時を「忍耐をもって熱心に待つ」のです。
この文脈と関係ない「希望」を教えている牧師、教師はいないでしょうか? パウロがここで教えている「希望」とは別のなにか、例えば、健康が与えられること、経済的気に満たされること、仕事上の問題が解決されること、などが「希望」だと思い込んでいる人はいないでしょうか。もちろん、それらは、私たちの地上での生活における大問題ですし、それらの問題のために大きな苦しみを覚えていることも事実です。神様はそのような苦しみの中にある私たちを助けてくださいます。しかし、ここでパウロが語っている「希望」とは、そのような問題が解決される「希望」ではないのです。
あなたは、パウロが伝えようとしている「希望」を正しく受け取ることができているでしょうか? そして、イエス様と直接お会いする時に、本当の救い、本当の癒し、本当の慰め、本当の平安が与えられることを信じ、その約束に希望を置いているでしょうか。
ライフチャーチ 大谷 信道